国際交流、まずは少人数で?

2011.11.14

最近、国際交流についてよく考える。異文化に触れること、理解すること、ちがう文化圏の人と交流すること。

その中で最近気付かされたことがある。

国際交流の難しさっていうのは、人が多くなれば多くなるほどおもてに出るということだ。

これから私がが書くことはパーティーなど一度限りで会う場合の国際交流ではなく、仕事や学生生活、趣味などを通し長期に渡り付き合いを続けていく場合の国際交流のこと。

例えば人が5人いて、その5人のうちの一人ひとりが違う国の人だと、意外と上手くまとまる事も多い。アメリカ人に、中国人に、ドイツ人に、タイ人と日本人。一人ひとりが違う文化で育っても、それぞれ母国語が違っても、一人ひとりのコミュニケーション能力に問題がなければ、5人で和やかな雰囲気。

ところが、これが人が増えて、20人になるとどうなるか。アメリカ人4人、中国人が4人、ドイツ人が4人、タイ人が4人に日本人が4人。これは微妙で、結果から言ってしまうと、全員の人数が5人のうちは上手くいっていたのに、同じ国の人が増えると意外にも違う国の人との交流が少なくなることが多い。理由は簡単。同じ国の人同士で固まってしまいがちだから。

つまり同じ国の人が増えると、中国人は中国人で固まり、アメリカ人はアメリカ人で固まり(←アメリカ人同士だと同じレベルの英語を話せるから、という点も大きいみたい)、ドイツ人同士はドイツ人同士で固まり、タイ人はタイ人で固まり、日本人は日本人同士で固まる、ということ。

(※よく「日本人同士はかたまる」と言われがちだけれど、でも実際には、どこの国の人も同じの国人同士、または同じ文化圏同士で固まりがちなんです。私が観察した限り、かたまるのは日本人に限ったことではありません。)

これって結構残念なことだと思うんだけど、現実は上に書いた通り(人間、その場に同じ国の人達がいると、その人達と一緒にかたまりがちだということ)であることが多い。

もしくは同じ国の人同士でかたまらないにしても、アジア圏の人同士で固まったり、欧米文化圏同士で固まったり。

そう考えると国際交流ってむずかしいなあ、と思う。色々な国の人が増えたからといって、色んな国の人同士の交流が深まるというわけでもないみたい。やはり自分の慣れているほう、ラクなほうに人間いってしまいがち。

これって同じ言葉を話すからラク、という部分も大きいけど、同じ国の人なら「自分流」でいっても、ギョッとされることがない、という安心感がある、という点も大きい。たとえば前に書いた女なのに床にあぐらかいて座ったり、リンゴを歩きながら食べたり、というのはヨーロッパの文化圏の人だと驚かないけど、日本人だと驚く人が多い。逆に、夏の日、日本人が日傘をさして歩くと同じ日本人には理解されても、欧米文化圏の人には理解されないことが多い。(欧米文化圏の人、特に北欧は日焼け命の人が多いから、笑。私は何回も日本にいるドイツ人に「サンドラ見て!あの人、雨でもないのに傘をさしてる!変!!」と怒り気味に言われたことがあります。)

いろいろ考えてみると、違う国の人と自ら進んでかかわらない、というのは決して違う国の人が嫌い、というわけではなく、習慣の違いから、それを意識してしまい、違う国の人の前では「緊張」してしまう、という点が大きいのかもしれない。たとえばアメリカ人の前では間違いの無い英語を話さなくっちゃ、とプレッシャーを感じて緊張する、とか、日本人の前では歩きながらモノを食べないように気をつけなくっちゃ、とか、ドイツ人の前では厚化粧をするのをやめなくっちゃ、とか。

でもそれでも国関係なく誰とでも仲良くなれる人というのはいる。それが挨拶程度の仲の良さではなく、長い付き合いで色んな国の人と上手くやっている人を見てみると、そういう人というのは、上に書いた「緊張」とは無縁の人だったりする。つまり大雑把でマイペース。「自分流」をさらけ出すことに抵抗がなく、同時にコミュニケーション能力がある人。

そういう人を見るたびにお手本にさせてもらいたい!と思う。国際交流、まだまだ発展途上です。

よければ皆さんの国際交流の体験談もおしえてくださいね。

サンドラ・ヘフェリン

コメント

  • 私の国際交流の難しさを知ったきっかけを、紹介したいと思います。彼女(交際しているという意味ではありません)は、英国人でした。仲間内(日本人と英語圏人)で食事をしたり、パーティーを開催するまでの仲になるほどになりました。ある日、たまたま二人で日本と欧米文化のことを話していたとき、彼女は、「I’m a sexist.」と何かの拍子に言ったのです。私は、そのときは、平成を装いましたが、思想的に偏ってるなと感じました。欧米圏の人は、政治的ポリシーなどもはっきりしておりまして、そのような場合、どのように対応すべきか今もってわからないです。ですから、文化圏やメンタリティーの似ているもの同士が集まりやすいのだなと、サンドラさんの文章を拝見して、再確認した次第です。やはり、政治的ポリシーや、性的志向(ゲイ等)をはっきり打ち出す欧米人と、そういう事をそこまで明確化しないアジア圏の人間では、非常に難しさを感じたわけです。サンドラさんは、いかがお考えですか?

    4:06 PM 横山稔
    • 横山稔さん
      Sexistは性差別主義者という意味ですので、ドイツだと女性が男性に対して「あなたはSexist!」などと冗談で言う場面を見かけましたが、女性で「私は性差別主義者です」と言う人がいるのですか?ちょっと不思議に思いました。
      ただヨーロッパのほうが自分のポリシーについて初対面でも言う傾向はありますね★サンドラ★

      12:24 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 「国際交流は少人数で」に同意。どこの国の人でも、人数が多くなると自分達だけで固まり、無礼な行動になりがちですね。私は、以前、メキシコでフランス団体旅行者に悩まされました。今なら中国人の旅行者という感じかな。かつての「日本の農協」みたいな人々は遍在。固まりたいなら外国には行く意味はないと思うのだけど。

    4:36 PM yujiyoshioka
    • Yujiyoshiokaさん
      「農協」に関しては前に生徒さんから話を聞いた事があって、詳しく説明してもらった事があります。
      人間、団体の中に居ると、そこに属しているという安心感と共に、団体以外の人の事に目がいかなくなる、気配りがなくなる、というふうになりがちなのは否めませんね。残念な事だと思ってます。実際に、国際交流という点を置いておいても、「個人ではいい人」なのに「団体に入ると、とんでもない人」(イジメに加わったり)という人も少なくないですしね。★サンドラ★

      12:26 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 固まるのは日本人に限ったことではないですね。私の場合は学生生活をしていて経験したので、生活臭さがあるかも知れません。
    日本人がイメージする「移民の国」である欧米やアメリカは、「いろんな人種の人がごっちゃに住んでいて、ハーフの子供も多いから住みやすい」とポジティブイメージばかりが強調されがちですが、実際に住んでみた私にとっては「それって絶対に違う!」と思うようなことを何度も遭遇しました。
    私が見た移民の国というのは、欧米系ならアングロサクソン系、ドイツ系、北欧系、イタリア系という感じで、アフリカ系もまた分かれていて(こちらは分かれ方が分からないので割愛させてください ^^;)、アジア系なら日本人、中国人、タイ人、ベトナム人、インド系、アラブ系もまた色々分かれていて、という具合に殆んど混ざらずに固まっていた印象があります。
    サンドラさんが言うように、数が増えれば固まる傾向が強いように感じます。多ければ住みやすい、というわけでもないんです。「移民の国」であっても語学に自信がない人も多く、自分から積極的に国際交流したがる人ばかりではなかったことが残念です。
    自分と同じ人はいるわけはありませんが、私のように「見た目はアジア系だけど、何人でもない」と思っている人は真の少数派なので、「アイデンティティのなさ」に20年近く?悩みました。今は開き直ってる自分がいますが ^^;
    自分のこういう経験があるからか、欧米やアメリカで、ダブルマイノリティになる、うちの娘を育てようとは思えないんです。パパや私はインド系やアジア系で分けることも「簡単」ですが、娘の場合は「無国籍さ」が日本にいる以上に仇になりそうです。まず、インド系やアジア系の子供(特にスノッブな奴ら)からは「自分たちと同じじゃない」と言われそうだし、見ようによったらラテン系にもアフリカ系にも見えるから、初めのうちはアプローチさせる可能性もあるけど、やっぱり「自分たちの仲間じゃない」になってしまいそう。
    欧米系とのハーフではない、アジア系xインド系、アジアxアフリカ系、アフリカ系xラテン系などのハーフは、そういった疎外感を味わうことも少なくないんです。
    「Jannatさんは悲観的過ぎるよ」と言われれば確かにそうです。だけど欧米系のハーフじゃない場合、移民の国では間違いなくマイノリティになって、いらぬ苦労を強いられるのは目に見えています。

    10:28 PM Jannat
    • Jannatさん
       
      いつも興味深い内容の話をアップしてくれてありがとう。

                                                                私もJannatさんと同感です。アメリカには行ったことがありませんが、ヨーロッパに関しては例えばドイツだとトルコ人が多いですが、あれだけトルコ人が多いのに、積極的にプライベートで彼らとかかわっているドイツ人は意外と少ないです。つまり、外国人が沢山いる国に住んでいるイコール交流がある、イコールその国の人が外国人に個人レベルで優しい、という事ではないのです。残念ながら。
                                                               
        >自分のこういう経験があるからか、欧米やアメリカで、ダブルマイノリティになる、うちの娘を育てようとは思えないんです。パパ(バングラデシュ人)や私(日本人)はインド系やアジア系で分けることも「簡単」ですが、娘の場合は「無国籍さ」が日本にいる以上に仇になりそうです。まず、インド系やアジア系の子供(特にスノッブな奴ら)からは「自分たちと同じじゃない」と言われそうだし、見ようによったらラテン系にもアフリカ系にも見えるから、初めのうちはアプローチさせる可能性もあるけど、やっぱり「自分たちの仲間じゃない」になってしまいそう。
                                                                     
        ↑これを読んでいて、さすがJannatさんだな、現実をよく見ているな、と感じました。人間って、簡単にカテゴライズできない人の事を避ける傾向、ありますよね。「インド人でもない、日本人でもない。なんなのアナタは?」って口にこそ出さなくても思う人は少なくないでしょう。でも一つ思うのは、娘さんはJannatさんみたいなちゃんと現実を理解しているお母さんがいて本当に良かったな、ということ。万一、将来、お子さんが、インド系、白人、アジア人に仲間外れにされるようなシチュエーションになったとしても(そうならない事を祈りますが)、その事をお母さんに話した時に、ちゃんとその事をわかってくれるお母さんがいるのって、とても心強い事だと思います。
      ハーフの子供が外でイジメに遭った時にお母さんが「現実を見ていないポジティブ思考」だと厄介ですね。「ウチの子は色んな血が入っていて国際的だからだいじょうぶ」とお母さんが自分で思っているぶんには良いのですが、子供が色んな国の人から認めてもらえずそれを母親に相談した時に変にポジティブ思考の母親だと娘の話が理解できませんからね。そういう母親は「アナタの考え過ぎ」などと言って娘のいじめられた体験を過小評価する傾向にあります。
                                                                                                                              
      そう考えると、お母さんが味方してくれる!と思えるのは幸せなことです。
                                                                    
       >欧米系とのハーフではない、アジア系xインド系、アジアxアフリカ系、アフリカ系xラテン系などのハーフは、そういった疎外感を味わうことも少なくないんです。

                                                                  
        ↑想像できます・・・。前にね、ドイツと日本のハーフの友達と一緒にミュンヘンの街を歩いていた時に、アジア系の女性×黒人の男性のカップルが子供を連れて歩いていて、それを見た友達が、「見て、あの人達・・・。アジア系と黒人の組み合わせっていうのもスゴイよね・・・」と嫌な感じで言ったんです。たしかにミュンヘンにはアジアと黒人のハーフが少ないから、珍しかったのかもしれないけど、その嫌な言い方にビックリしてしまいました。だって・・・その言っていた子も私もハーフなんだよ。なんで、ドイツ×日本のハーフはよくて、アジア×黒人のハーフはダメなの???ビックリした。それでね、私なりに色々考えたんだ。どこからその発想が来るのかって。それでこれは私の持論なんだけど、一部の白人は「白人の血が入っていないハーフ」を見ると、自分が無視された、と感じるんだと思う。つまり、白人×黒人のハーフには納得し、白人×アジアのハーフにも納得するけど、たとえばアフリカ×アジアのハーフの場合は、白人の血が入っていないわけで、そんな白人なんか眼中にない混ざり方はダメだ、という事を無意識的に言いたいんだと思う。でなければ、あれほど過剰反応しないと思うんだ。
                                                                                                                                 

        >日本人がイメージする「移民の国」である欧米やアメリカは、「いろんな人種の人がごっちゃに住んでいて、ハーフの子供も多いから住みやすい」とポジティブイメージばかりが強調されがちですが、実際に住んでみた私にとっては「それって絶対に違う!」と思うようなことを何度も遭遇しました。

                                                                     
       ↑これですが、日本もハーフが日本にいることを全面的に認めているわけではないのに(←認めていたら「何故国に帰らないの?」などの発言は出てこないはず)、不思議な事に、「ハーフは欧米の国では何の問題もなく受け入れられる&認められる」と思い込んでいる日本人が少なくない。自分たち(日本)がハーフを必ずしも完全に受け入れていないのに、なぜハーフは欧米の国々では完全に受け入れられる、と思うのでしょうかね・・・?地球のほかの場所にも、自分たちと同じく「壁」を作りたがる人達がいることに想像が及ばないようですね。悲しいことです。
                                                                           
       >「Jannatさんは悲観的過ぎるよ」と言われれば確かにそうです。だけど欧米系のハーフじゃない場合、移民の国では間違いなくマイノリティになって、いらぬ苦労を強いられるのは目に見えています。

                                                                          
       ↑私はJannatさんは悲観的だと思いません。欧米に住んだ経験があるから現実を見ているだけだと思います。娘さんのことを思うと、「ウチの子はインターナショナルだからどこでもやっていける」と信じて疑わないノーテンキママよりも、Jannatさんのように現実を知っているしっかりママのほうが子供は心強いはずです★サンドラ★

      12:42 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 私の場合ちょっと特殊なのですが、20年前に日本の中学卒業後、ドイツの高校に4年間単身留学をしました。学校の中では日本人一人、ホームステイ先でももちろん一人、街中でも日本人は数名程度しか住んでいない時代でした。シュタイナー教育に憧れての留学、しかしその夢は意外にもあっさり砕け散りました。カルチャーショックがあまりに大きかったからです。問題は何よりも同級生とのコミュニケーションの難しさにありました。田舎の方だったので、日本について知ってる人は少なく関心もあまりありませんでした。そんな中、どう自己PRしていくか悩みました。同じ国の人同士かたまりすぎるのも問題ですが、大人数対一人という環境も難しいですね。

    結局、諸事情から引っ越すことになり、別の街のシュタイナー学校に転校しましたが、そちらのクラスでは前と打って変わってとても居心地がよかったのです。もちろん、クラスの性格というものもあるかもしれませんが、そちらの街はFrankfurtに程近く、都会的でした。日本について関心を示してもらい、いろいろ話を聞かれました。休日も遊びに誘ってもらい、仲間に受け入れてもらえている感じがしました。お陰でとてもよい気持ちで、充足感とともに卒業することができたのです。結果としては、一人で飛び込んでいった難しさもありましたが、またとない良い国際交流をして帰って来られました。

    面白い体験をもう1つ。ドイツに渡って1年たった頃、夏休みにイギリスに1ヶ月の短期語学留学をしました。ドイツ国内のSprachreiseの企画に参加したのです。Frankfurtで集合、その後列車+フェリーでイギリスに向かう中、列車内ではすでにお友達づくりが。ホームステイもしたのですが、語学学校が終わった後はドイツ人のお友達と遊びに行く日々。英語はまるで変化なし。ドイツ語がやけに上達したのでした(笑)その時思ったのは、異国の地ではドイツ人といえどもかたまるんだ、ということ。そうなるとホントに異国に行く意味あまりないですね。

    11:58 PM Mari
    • Mariさん
      貴重な話を書いていただいてありがとうございます!!
      確かに同じ国の人同士がかたまるのも残念ですが、ドイツ人のグループに日本人一人がポーンと入る、というのもかなり勇気が必要ですよね。そして、ドイツの田舎よりも都会のほうが日本人として過ごしやすかった、というのもよくわかります。日本も似ていると思います。私は容姿が欧米的なのですが、日本の田舎に行くと、それはそれは大変だから、逆(日本人がドイツの田舎に行く)も大変だろうな、想像します。国に関係なく、「田舎」では外国人は注目の的になっちゃいますね(笑)ちなみに、日本の地方や田舎のハーフについて、以下でエピソードを書いていますので、よければご覧ください。リンクの中の一番下の『田舎のファーストフード店にて』の部分です。

      http://half-sandra.com/column/2011/01/12/113.php

      イギリスに行って、ドイツ人とかたまり、ドイツ語が上達した話もおもしろいですね^^それはそれでとても良い思い出ですよね(笑)★サンドラ★

      5:20 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 友人女性に国際交流のいろんなグループにかかわるのが大好きな人がいて、彼女自身も海外旅行が大好きで片言でも何カ国語か話すし、スペインにも留学経験があるのだけど、とにかく明るい人柄で友達も多く、初対面の人とも打ち解けるのが早いし、みんなでBBQしたりカラオケしたり、ワイワイするのが好きな彼女は、結構人気者。彼女がいると座が盛り上がって華やかになるんだよね。でも、彼女が来ないと、イベントがいまいち盛り上がらないのよ。みんな気の合う者同士で固まってしまいがち。たとえば、彼女よりもはるかに海外経験の長い人、マルチリンガルやマルチカルチャーのバックグラウンドがある人が大勢揃っていても、なんかそれだけじゃ全体としては楽しくないというか。。。結局、大勢での国際交流って、全員が楽しめるようにするカリスマ的存在がいるかどうかで、かなり左右される気がする。人数が多いと、国際交流というより、人間交流がホントに好きじゃないと、結構しんどいかも(笑)

    11:02 PM N☆
    • N☆さん
      そういう人は貴重ですよね!
      国際交流もそうだけど、盛り上げ方が上手な人、貴重ですよね。そういうのはほんとう『才能』だと思います★サンドラ★

      11:18 AM サンドラ・ヘフェリン
  • 国際交流の場でも人々が同じ国で固まってしまうということ、確かにありますね。僕はこれまで仕事の関係で国際会議や学会に出掛けることがしがしばありました。会議そのものは名の通り英語で国際的に行われるのですが、必ずあるバンケットには結構気を使うのです。一般的には我々の業界の事情を反映して立食でなくてテーブルでの会食であっても、様々な国からの人が混然とテーブルに付く事が多いのですが、時には同国人が固まってしまうということがあるのです。サンドラさんはパーティーなどの一過性のことは、また別の議論をしたいようですが、僕は全て関連していると思うのでここで敢えて書いておきたいのです。バンケットの場合、会議で討論を戦わせたあと、せめて食事だけでもリラックスし、自国語で楽しみたいという気持ちになりことは当然なのでしょう。このような事が国際化に反することだとは必ずしも思いません。全てのテーブルが英語になってしまったら、それこそつまらなくなります。
     
       テーブルが国ごとに分かれてしまい知り合いが少ない会食の場合、日本からの参加者が2〜3人か、あるいは全く一人の自分が、会食でどのテーブルを選ぶかの重要な選択をしなければなりません。食事が楽しくもなり反対に退屈にもなり得ます。親しい人がいればその隣を選ぶのが勿論ベストですが、出来ない場合、会議の続きで英語のテーブルか、昔留学していて気心の知れたドイツの人々のテーブルにするか、瞬時の判断が求められます。一度失敗したことがあります。陽気なイタリア人が楽しそうにしていたので、彼らのテーブルに加わりました。始めは皆さん英語で相手してくれました。ただワインが進むに従って皆さんイタリア語に移行し、談笑がピークに向かっていったのです。イタリア語が全く分からぬ僕は、1時間ポカンとしてひたすらワインを飲み続けたのでした。

       そこでサンドラさんの「国際化は5人はよくて20人にもなるとともうだめだ」という命題を僕なりに解釈してみようと思うのですが、5人というのは全員ひとつのテーブルに着ける人数なのではないかと思うのです。(典型的な家族の人数でもあります。)全員が相互に声をかけ、話を交わすことができる人数です。これに対し20人になると幾つかのテーブルに分かれます。同然、知り合いが寄り集まることになります。遠くては話も交わせません。こう考えてみると、問題は単に国際交流の場だけのことではなく、同じ日本人の社会の中でも当てはまる問題ではないかと思うのですが、どうでしょうか。食事のテーブルにこだわってコメントしました。

    9:41 AM JUN
    • JUNさん
                                                                                            詳しく書いてくださってありがとうございます!参考になります!
                                                                                                  
       >親しい人がいればその隣を選ぶのが勿論ベストですが、出来ない場合、会議の続きで英語のテーブルか、昔留学していて気心の知れたドイツの人々のテーブルにするか、瞬時の判断が求められます。一度失敗したことがあります。陽気なイタリア人が楽しそうにしていたので、彼らのテーブルに加わりました。始めは皆さん英語で相手してくれました。ただワインが進むに従って皆さんイタリア語に移行し、談笑がピークに向かっていったのです。イタリア語が全く分からぬ僕は、1時間ポカンとしてひたすらワインを飲み続けたのでした。
                                                                                              
       ↑これはなんだか想像がつきます。そういうこともありますよね。とくにお酒が入ると(笑)
                                                                                                                          たしかに5人いると話しやすく、20人いると、人数が多いのでまとまりにくい、つまりJUNさんが書かれていたみたいに「一つのテーブルにつきにくい」というのは国際交流に限らず日本人同士でもありますね。ただ、20人の中に5カ国の人がいると(つまり一つの国の人が4人ずつ)、よくも悪くも面白いなと思うのは、やっぱり「同じ国・同じ文化圏」の人同士でかたまること。国以外の何か他の共通点、たとえば共通の趣味でかたまってもいいはずなのに、とりあえず「同じ国」でかたまるから、実は他の国の人で同じ趣味の人がいたんだー、と中々きっかけがない限り「知るまでに至らない」のが残念ですね。
                                                                                                      
      こうして「同じ国・同じ文化圏」の人が一つのグループ(たとえば日本人グループ)になると、他のグループ(たとえばフランス人グループ)とは『挨拶をする程度』の仲になっちゃうのが残念だな。あまり深くかかわろうとしないというか。そして誰も言わないけど、国や文化圏で分かれるのが「当たり前」になっちゃってるっていう。★サンドラ★

      11:18 AM サンドラ・ヘフェリン
  • いつも読んでくださってありがとうございます。自分の体験をできるだけ包み隠さず書いているだけなんですけどね ^^;

    >ヨーロッパに関しては例えばドイツだとトルコ人が多いですが、あれだけトルコ人が多いのに、積極的にプライベートで彼らとかかわっているドイツ人は意外と少ないです。
    オーストリアに留学していた時、外国語としてドイツ語を習っていましたが、教科書の中にトルコ人を蔑視するような会話が書かれていて、ショックでした。だって教科書ですよ!?こんなことを教科書に書いたら差別を助長するだけだと、子供心にそう思っていました。
    ドイツではトルコ人とドイツ人は別々に住んでいるという印象でした。歴史的背景もあるのでしょうが、ムスリムに対しての差別も大きいし、トルコは後進国でドイツのほうが先進国で文化的に上、というヘンな思考が出来上がっている気がします。

    >人間って、簡単にカテゴライズできない人の事を避ける傾向、ありますよね。「インド人でもない、日本人でもない。なんなのアナタは?」って口にこそ出さなくても思う人は少なくないでしょう。
    まさにそれです!アメリカや欧米ではそういうことが頻繁に起きるので、多感な子供は”I am nobody”な発想になってしまうことも多いんです。相手が「ハーフと言っても色々なんだね」で落ち着けばいいですが、スノッブな白人やアジア系のガキ達はそれだけでは終わらないことは想像できちゃいます。
    「インド人(インド系ならともかく、バングラデシュ人と言う発想は恐らくない)はこんなに色白じゃないよ!」「日本人はこんなに色黒じゃない!こんなに目が大きい日本人はありえない!」「日本人なのになんでお弁当が(インド式)カレーなの?」「インド人なのに毎日カレーのお弁当じゃない」「日本人でもインド人でも髪の毛こんなにくるくるじゃないよ!本当はお前、黒人かヒスパニックじゃねーのか?」
    な~んて残酷なことが子供の口から出るんだろうな、というのを想像しちゃっています。
    「だから何だ!?」「悪いかよ!?」「何かお前らに迷惑かけてんのかよ!?」「お前らには関係ねー!」と日本語でもいいから言えればいいんですけどね ^^;

    >ハーフの子供が外でイジメに遭った時にお母さんが「現実を見ていないポジティブ思考」だと厄介ですね。
    あ~、こういうお母さんには子供にとっては嫌ですね!ハーフは仲間はずれの対象になりやすいことを理解していない気がします。大人は子供の社会には入ることはできなくても、「ママとパパはいつでも味方。何があっても受け止めるから」という姿勢は必要ですよ。

    >でも一つ思うのは、娘さんはJannatさんみたいなちゃんと現実を理解しているお母さんがいて本当に良かったな、ということ。
    ありがとうございます m(__)m 私も田舎に住んで「中国人!」と言われ、都会に住めば「なに人か分からない」と言われ、日本人にも欧米人にもなれない苦しみを味わったから。マイノリティの苦しみは経験しないと分かりません。私の場合は理解してもらえませんでした。娘には同じ経験をさせたくないんです。

    >アフリカ×アジアのハーフの場合は、白人の血が入っていないわけで、そんな白人なんか眼中にない混ざり方はダメだ、という事を無意識的に言いたいんだと思う。
    何でダメなの!?と私が聞きたいです。恋愛したのがたまたまアフリカ系、またはアジア系だった、というケースもあります。そういう本人だって白人x日本人のハーフなのに。彼女に言わせると、私たちのような夫婦もNGになりますね 苦笑 
    ハーフ=全てが白人のハーフ、というのもおかしな話だし、女性に人気があるクリスタル・ケイもハーフとしてはありえない、という話になりますか?日本ではあまり知られていませんが、アメリカ人の元スーパーモデルで今は自分のブランドを立ち上げた、キモラ・リーというアフリカ系xアジア系のハーフがいます。知的な美人で女性に人気があり、Asian Americanを対象にした雑誌に頻繁に取り上げられていました。

    だけどインド系でインド北部やバングラデシュ、パキスタン出身の人達はアーリア系で、欧米系。つまり、色黒でも白色人種なんです。欧米出身の白人達は「自分たちが偉い」という考えを押しつけがち。だけどインド系でアーリア系の人達は白人だという事実を知らないのではないか、と思ってしまいます。自分より肌が黒い人たちを差別する、というのはまわりまわって、自分達自身の無知をさらけ出してしまっているようなものだと思うのは私だけでしょうか??

    8:50 PM Jannat
    • Jannatさん

                                                >ウチの子はバングラデシュ人と日本人のハーフなのですが、「インド人(インド系ならともかく、バングラデシュ人と言う発想は恐らくない)はこんなに色白じゃないよ!」「日本人はこんなに色黒じゃない!こんなに目が大きい日本人はありえない!」「日本人なのになんでお弁当が(インド式)カレーなの?」「インド人なのに毎日カレーのお弁当じゃない」「日本人でもインド人でも髪の毛こんなにくるくるじゃないよ!本当はお前、黒人かヒスパニックじゃねーのか?」
      な~んて残酷なことが子供の口から出るんだろうな、というのを想像しちゃっています。

                                                                                           ↑うん、ここまでハーフの子の「現場」を想像して考えてくれる母親って中々いないですよ・・・娘さんは本当に幸せだと思います。こういうふうに先々の問題まで考えてくれるお母さんがいて。これからもいつも娘さんの味方になってあげてくださいね☆
                                                                                                                                      
       白人の血が入っていないハーフ、白人が存在しないカップル(たとえばアフリカ系×日本)については、なぜ一部の欧米人が、蔑視的な見方をするのか前のレスで私なりの見解を書かせてもらったけど、今まだ考えていて、過去の観察からいくつか「!!!」と思ったことがあるので、いつかこのコラムにアップしたいと思います。気長に待っていてくださいね^^;
                                                        

      それからオーストリアの教科書にトルコ人蔑視の例が出てきた、とのことですが、どういう内容だったのでしょうか?
                                                                   

      でも語学レッスンに関しては、教科書ではないけれど、私も過去に「????」と思った経験はあります。ある日本人の先生がフィリピン人に日本語を教えていたのですが、私が廊下で聞いていると、どうも内容が変なのです。日本人の先生が執拗に「にほんじんは、きんべんです。ふぃりぴんじんは、きんべんですか?」「にほんじんは、よくはたらきます。ふぃりぴんじんは、よくはたらきますか?」というような上から目線の文章を繰り返していて、なんだこの先生は?ドイツ人やアメリカ人が相手だと、こういう質問していないのに嫌な感じ、と思いました。レッスン代も結構高かったし、私がフィリピン人の生徒さんだったら、ぜったい文句言うな。私の想像ですが、たぶん無意識のところで、こういう事を「やってしまう」のでしょうね。★サンドラ★

      10:05 PM サンドラ・へフェリン
  • >それからオーストリアの教科書にトルコ人蔑視の例が出てきた、とのことですが、どういう内容だったのでしょうか?
    うろ覚えだけど、背が低い黒っぽい髪の毛のドイツ人の女の子で、”He, sie!”と、明らかに軽蔑した呼び方を、別のドイツ人のおばさんがしていた、というものです。で、振り向いたらドイツ人の女の子だったから、おばさんは平謝り、という内容でした。

    「ふぃりぴんじん、きんべんですか」って聞いちゃうんですか。私だったら「ふざけるな!」ですね。私の知ってるフィリピン人は日本人以上に勤勉ですよ。インド系の人たちだって物凄く勤勉ですよ。

    娘はダブルマイノリティなので、パパとママが味方になって、「あなたみたいなハーフがこれからは必要不可欠な存在になる」”You are NOT nobody! You are special!”と教える必要があると思っています。ハーフの親が味方にならなくて誰がなる!という気持ちは私達にはあります。

    欧米系ハーフではないハーフに対してどうして軽蔑的になるのかな~。それが理解できないところです。

    コラム待ってます!

    11:55 PM Jannat
  •  サンドラさんの返信には、賞賛を越えて畏敬の念を覚えます。いきもの系のわたしは、「わずらわしい社会など断絶しちゃえ!」と助言したり、自分自身もしばしばそうしています。
     ここに書かれている数々のコメントは、未熟な人間社会と対峙してきた経験知であり戦果の集積なのではないかと思うようになりました。
     一人の人が一生のうちに出会う数、知り合う数、親しくなる数には限りがあります。時として選べないのが残念なところ。
     ハーフの子供たちを起用して映像作品を作る予定があるので、このブログは大変参考になります。「君たちは二つの国の懸け橋なんだから」と、国や民族といった荷物を背負わせないように心がけます。

    1:26 AM asariya38
    • asariya38さん
      レスが遅くなりすみません。そしてありがとうございます^^;
      そうですね、ハーフは国を背負わされてしまう、という問題もたしかにあるので、周りの人があまり、どこそことのハーフだから、何々のはず、などと単純に決めつけない方がいいのかもしれません。そう考えると、ハーフにしても純日本人にしても外国人にしても、その人の『個』の『色』を見てあげると間違いないのかもしれません。★サンドラ★

      9:33 PM サンドラ・ヘフェリン
  • こんにちは。
    けっこう前のコラムにも丁寧に返信してくださってありがとうございますm__m

    一通りコメントを見た感じだと皆さん三十台ぐらいの方が多いみたいですね。
    平成生まれの自分とはハーフとして育った環境も違うと思いますが色んな意見が見れて色々考えさせられます。
    そうですね、外国で同じ国の人が大人数集まるとそういう傾向がありますよね。人間の心理から言うとそれはごく自然なんでしょうが、言語習得や違う文化や風習に慣れる事を考えるとそれは妨げですよね。
    俺もフィリピンに来たばかりのころはいつも同じ日本語の喋れるハーフ達と固まってました。やっぱりそれだと英語も現地の言葉もなかなか上達しませんよね。
    悪い例は海外で過ごしても家では日本語を使ってる件。
    それでなかなか英語が上達しないなんて友達もいました。
    やっぱりセーフゾーンがあるとそこに行きたくなりますよね。
    そんな自分も今でもやはり日本とフィリピンのハーフが居るとそれだけで「仲間だ」みたいな意識が出るんでやはり多少そっちに寄っちゃいますよ。
    自分はどっちかと言うと緊張したりためらうタイプなんで、そこら辺は意識してもっとオープンに行きたいですね。
    まぁ今の時代、どんどんグローバルになってきてるんで序所にそういう国境や言葉の壁は無くなっていくと思います。
    と言うかそうなって欲しいですね。笑

    12:46 PM Japinoy
    • Japinoyさん
      レスが遅くなっちゃってごめんなさい。
      たしかに『緊張』がなくなれば勝ちですよね、国際交流は。
      やはりほとんどの人は、同じ国や同じ言葉を話す人、または同じ文化圏の人とかたまりがちだけれど、そういう枠を越えた『交流』も今後少しずつ増えてくるといいですね、日本に限らず。それに、そういう交流がなくなるとハーフも生まれないし(笑)★サンドラ★

      9:13 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 頭がかたくなる前に、国際交流しておくと良いと思う。
    変なステレオタイプや怒りとか持たないように。
    一度海外に行って外人として海外に住むと、視野が広がるかも。

    1:56 PM
  • 「国際交流」することが目標になってる学校や自治体が多いよね。
    そして、そのために「制度」としての国際交流をする。

    これっておかしくない?同じ大学にいる外国人、同じ町にいる外国人、日常生活でいくらでも交流する機会はあるじゃない。興味持てば話しかければいいだけ。
    「外国人」だからって特別視するこたあない。
    そして、そもそも、国際交流なんて意図的にやるもんじゃあない。
    外国好きな人はほっといても、自分でやってるよ。

    外国人も日本人も関係ない。そこにいるのは「ヒト」☆

    3:26 PM Niolai
    • Niolaiさん

       
      >外国人も日本人も関係ない。そこにいるのは「ヒト」☆

       
      ↑素敵なコメントありがとうございます!そうですよね、それが一番自然な考え方ですよね^^★サンドラ★

      3:31 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 〉今なら中国人の旅行者という感じかな。かつての「日本の農協」みたいな人々は遍在。固まりたいなら外国には行く意味はないと思うのだけど。

    誤解を招くので一言。
    日本政府は、中国人(本土の人)の観光ビザについては、原則として「団体」としています。個人に対しては資産などの条件があります。

    1:30 AM Thor

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