日独バイリンガル教育(日独ハーフの視点4)
前回に引き続きバイリンガルのお話。私自身はたまたまハーフで日本語とドイツ語のバイリンガルなのだけれど、私はハーフだからといって必ずしもバイリンガルである必要はないと思うんだ。その理由はまた次回詳しく書くけれど、今回は「子供をバイリンガルにするにはどのような教育が必要なのか?」というテーマについて自分自身の体験も交えながら書いてみようと思う。
私が知っているバイリンガルの日独ハーフ(ここで言うバイリンガルは日本語&英語ではなく、日本語&ドイツ語のバイリンガルのこと)は、やはり親が子供の言語学習に力を入れていた家庭の子が多いかな。子供をバイリンガルにしたい場合、学校などの外で受ける教育 と家庭の教育のバランスが良いことが不可欠なのだけれど、家庭の中に関していえば有効なのはやはり赤ちゃんの時からドイツ人の親はドイツ語で子供に話しかけ、日本人の親は日本語で赤ちゃんに話しかけること。私はそのようにして育ったけれど、その頃はまだ頭も柔軟だったので、「あ!違う言語だ! 」と特別に意識することもなく、自然に「パパの時はこうなんだな」、「ママの時はこう話すんだな」と子供なりに臨機応変に対応していた。
ウチの場合は、日本人の母親は日本語とドイツ語の両方ができたけれど、ドイツ人の父親はドイツ語オンリーで日本語は殆んど話せなかったので、結果的にこれがかえって良かったみたい。私が日本語で父親に話しかけても、父親は何も分からないので、父親とは自然にドイツ語で話すようになったし、母親はずっと私に日本語で話しかけていたので私も自然と日本語で答えるようになった、という感じ。このようにすると、「お父さん=ドイツ語」、そして「お母さん=日本語」という事が子供の頭にインプットされる。子供に両方の言語を覚えてもらうために親が仕組んだ「夫婦で言語使い分け作戦」ですね。
でも作戦といえども、基本はやっぱり「楽しく」が大事! 言葉に限らない事だけれど、やっぱり日本語を話すのもドイツ語を話すのも楽しくないと続かない。日本語の学習の場合、私は絵本を読んだり(小さい時は母親に読んでもらった)、親子でカルタ遊びをしたり、童謡を聞いたり、盆踊りをしたり。あとは日本人の友達ともドイツ人の友達ともよくゴム跳びをしたりして普通に遊んでいた。
この連載の第1回にも書いた、日本の「だるまさんが転んだ」とルールが同じ「Ochs am Berg」というドイツの遊びをよくドイツ人の友達としたり、一緒に遠足に行ったり、そういう友達との「遊び」の中で自然に言葉を覚えた。だから私自身は日本語もドイツ語も、苦労をしないで覚えたんだ。何せ「遊びながら」が基本だったから気がついたらドイツ語も日本語も覚えていた感じ。子供の言語取得に必ずしも苦労は必要ないと思う。子供の頭と心の中に「言語=楽しい」という事がインプットされたら親の勝ちなんじゃないかな(笑)
バイリンガル教育の注意点についてよく聞かれるけれど、その家庭その家庭によって親の性格も職業も違えば子供の性格も違うので、一概に言える注意点はないのかもしれない。ただ、個人的に思うのは、親が日本語とドイツ語の “ちゃんぽん” で子供に話しかけるのはなるべくやめたほうが良いということ。 “ちゃんぽん” というのは、例えば「今日は学校のPauseでApfel essenしたでしょう? 」というような文章ですね。親としてはここはやはり子供に「今日は学校の休み時間にリンゴを食べたでしょう? 」と言ってあげるのがおススメです。
日独カップルのお家は家庭内では日本語もドイツ語も通用する場合が多いので、子供に対してもうっかり「日独ちゃんぽん」をしてしまいがちですが、上記のような文章は外の世界では通用しませんからね…。本当は通用してほしいんですけどね(笑)。
子供の頃は私、完全に日本語とドイツ語を使い分け、”ちゃんぽん”はしなかったけれど、最近はそれが楽しくなってきて、日独バイリンガルのハーフの友達と集まっては、みんなで日本語とドイツ語のちゃんぽん会話をしてる。「だから、ほら、アレ….was ich Dir letzte Woche erzaehlt habe….変な話だよね。」、訳すと「だから、ほら、アレ…先週話した事だけど…変な話だよね。」なんて言ってる。変なのはそのちゃんぽんの方だ! って感じですよね。でも聞いている方も、日独の両方の言語ができる友達だったりすると、「うんうん aber echt」、訳すと「うんうん、本当だよね」とか言ってるし。
そんな感じなので大人になってからの仲間内の「言葉ちゃんぽん」には大賛成! もしかしたら周りは大迷惑かもしれないけれど…。
でも、子供に対して親はできるだけ “ちゃんぽん”は避け、日本語で文章を話し始めたら、文章の最後まで日本語で話し続け、またドイツ語の場合も同様にドイツ語で話し始めた文章は最後までドイツ語で話す、という事をおススメします。
さて、上に書いたのは主に「内」の語学教育についてですが、次は「外」について。
「外」の教育はやっぱり学校が重要。子供が小学校に上がる時点で、どの学校を選ぶか。これが実はバイリンガル教育には決定的だったりする。その際、バイリンガル教育にオープンな雰囲気の学校である事が大前提。そういう意味で、日本で育つ日独ハーフの子供に日本語とドイツ語の両方を教えたい場合、私は横浜のドイツ学園に子供を通わせるのが一番良いと思っている。
ドイツ学園の授業は全てドイツ語で、ここではドイツ国内の学校と同等の教育が受けられる。この学校は特に日本語教育に力を入れているわけでは全然ないのだけれど、日本に住んでいるわけだから学校の外で日本語に触れる機会は沢山ある。日本に住む日独ハーフなら「学校ではドイツ語を習い」、午後や週末は日本人の友達と遊んだり、日本語の先生のところに通ったりしながら両方の言葉を習うのが、バイリンガルになるには一番成功率が高い。加えてドイツ学園には日独ハーフの子供が多いので、子供に日本語もドイツ語も覚えさせたい、という親も多く、親同士が情報交換をするにも最適だ。
逆にドイツで育った日独ハーフのバイリンガルの場合は私のようなケースになるんじゃないかな。つまり「月曜日から金曜日はドイツ人の子供たちと同様ドイツの現地校に通い、土曜日は日本語補習校に通う」というモデル。「日本語補習校」は、ドイツの主要都市には大体ある。日本語補習校は週に1回、通常は土曜日にあるけれど、幼稚園から高校までずっと通い続ければ、毎週宿題も出るし、かなり勉強になると思う。同じ年齢の日本語を話す友達もできるし、作文コンクールなんかもあったりするし。ちなみに私がミュンヘンの日本語補習校に通っていた頃には「毎日、日本語で日記を書きましょう」という宿題があったので、気づいたら、日本語で毎日文章を書く事が習慣になっていた。
この「土曜日の日本語補習校」の他に日本語教育のためにミュンヘンで通っていたのは「公文の教室」。日本人の先生がミュンヘンでやっていたんだけれど、毎週金曜日の午後にはそこへ通って、勉強をして、そこでもらってきた宿題の、ひらがな・カタカナ・漢字などを勉強するための公文の紙を家で一日2枚ずつやっていたな。一緒に通っていた友達の中には、家で1日に3枚とか6枚やる子もいたけれど、ウチは母親がちょっと変わっていて「1日に何枚もやるとスグに嫌になるから2枚にして、その分長く続けなさい」という考えでした。なので細々と、でも長々と延々、5歳から13歳ぐらいまで「公文」を続け、ひらがな・カタカナ・漢字は殆んど公文で習って練習した。「公文」はひたすら「文字を覚えるための作業」で、土曜日の日本語補習校は日本語で作文を書いたり、友達とコミュニケーションをとったり、要は遊ぶ場だった。
バイリンガル教育について今回はちょっと実用的な話ができたかな?次回はまた精神論テイストで行きます!今後もお付き合いどうぞ宜しくお願い致します。
サンドラ・ヘフェリン
コメント
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うちはパパがバングラデシュ人、4歳の子供はパパそっくりの外人顔のハーフです。私は日本人ですが、元帰国子女で、海外生活のほうが長かったため、考え方も価値観も日本人らしくありません。
うちは日本の実家から、「娘はインターナショナルスクールに行かせるべき!」と言われます。
私は海外生活が長く、英語も日本語も中途半端。深く考えると英語と日本語がちゃんぽんになってしまい、会社でも何を言ってるかわからない、と言われることも多いです。
そういう経験があるので、「まずは日本語をしっかりと身につけさせたい!」と実家で伝えたところ、「英語教育を否定している!これではコスモポリタンになれない!」と言われてしまいました。でもはっきり言いたいのは英語が話せる=コスモポリタン、ではありません!あんまり早いうちに英語を覚えても、アイデンティティクライシスや、自分の伝えたいことが伝えられない問題も起きてきます。場合によったら思考のトレーニングそのものができなくなることもあるのです。私がそうでした!
11:48 PM Jannat -
Jannatさん、二つの言葉を小さい時から学ぶことが正しいのか・正しくないのかに関しては、子供ひとりひとりの性格や能力も違いますし、家庭環境もそれぞれ違いますし、一概に「バイリンガル教育を幼い時からするべき!」または逆に「バイリンガル教育は混乱するからやめておいたほうがよい!」と言えないのが難しいところですね。結果論というところもあって、子供が20歳ぐらいになって、「子供の頃からバイリンガル教育をして詰め込み過ぎたのは失敗だった」または逆に「子供の頃のバイリンガル教育は成功だった」と結果として分かる場合もありますしね。こればかりは本当に「これが正しい」という答えを事前に出すことが難しいテーマなのかもしれませんね★サンドラ★
8:32 PM サンドラ・ヘフェリン -
じゃあ海外に出れば自動的にバイリンガルになってコスモポリタンになれるのか?私の経験から、これもNOです!
留学した場合は、子供は「英語だけ」学んで来てくれません!現地の価値観も身につけて帰ってきます。私もそうでした。今考えると私の親も「英語だけ」学んできてくれればよくて、現地では日本の価値観をそのままキープしてくれる、と信じていたようです。
私にとって「バイリンガルにする」ことは、子供のアイデンティティや価値観にも影響することだと思っているので、あまり早いうちに2ヶ国語をさせることには賛成できません。それよりも子供にとっても中心言語をしっかり伸ばしてあげることのほうが大事だと思っています。
11:59 PM Jannat -
Jannatさん、興味深いです。たしかに例えば子供をアメリカに留学させた場合、日本人の親の多くは子供に「英語だけ」学んできてほしい場合が多いんですよね。つまり英語は学んできてほしいけど、現地の人の例えば歩きながらホットドックを食べちゃうような生活習慣は学んできてほしくない。人前で平気で足を組むような習慣も覚えてきてほしくない。英語は学んでほしいけど、「日本人として恥ずかしくない」子であってほしい。そう考える親は多いのでしょうが、子供の立場からすると、納得いきませんね(私はなぜかこの手のテーマは、親より子供のほうに感情移入するというか子供の立場に立っちゃう傾向があります・・・)。子供はやっぱり現地の子と仲良くなったら、現地の子供たちがやっている事を一緒にしたいし、それはハンバーグをかじりながら歩く事だったり、コーラをラッパ飲みすることだったりするわけですから、それらの行動を全否定して、「英語だけ」覚えてきてほしい、というのはある意味親のエゴなのかもしれません。親の気持ちもわかるけど現実的ではないですよね。★サンドラ★
8:59 PM サンドラ・ヘフェリン -
補足ですけど、早いうちに留学させたがる親というのは決まって、「子供はすぐ慣れるし、早いうちだとネイティブスピーカー並みになれるから!」と考える親がすごく多いです。
あの~、ネイティブスピーカーと言うのは、その国で小さいうちから育たないと無理!言葉の定義がそもそも違う気がします。
サンドラさん、時々「子供のころの私の代弁してる?」と思うくらいの子供の代弁者ですね!10:10 PM Jannat -
Jannatさん、「子供はすぐ慣れる」とはよく言われているけれど、なぜかこの言葉にアレルギー反応を起こす私。大人が物事を簡単に考えたいから「子供はスグ慣れる」と言う場合も多いと思う。それに例えば日本人の子供がアメリカの文化に「すぐ慣れたら」、それこそ歩きながらハンバーガーを食べる事にスグ慣れちゃう、ということにもなっちゃいますよ。それでも親はいいのかな?なんてことを考えるのです。おそらく多くの親は「それは嫌!」なのでしょうけど、それは親側の都合であって。・・・・それで、そうそう、Jannatさんが書いていたみたいに、私なぜか子供の味方しちゃうんですよね、今でも(笑)★サンドラ★
2:01 AM サンドラ・ヘフェリン -
「すぐ慣れる」というのは、現地の習慣にも「すぐ慣れ」て、価値観にも「すぐ染まる」ということだと私は思います。
留学をさせるというのは、親にとっても試練だと私は思います。「英語だけ」学んできてほしい、ネイティブになって帰ってきてほしい、という甘い期待?を親は持つのでしょうが、それ以上に、子供は日本に馴染めなくなるかも知れない、日本に帰りたがらないかも知れない、価値観を共有できずに戸惑うことも一杯出てくる、もしかすると日本語を忘れちゃうかも知れない。そこまで考えて留学させている親はまあ少数派でしょうね。
そういうマイナス面に耐えられない、と思うのなら、子供のうちに留学をさせるべきではないと思います。大人のほうが純粋に「英語だけ」学んで来てくれる可能性も高くなりますが、その代わり現地に「慣れ」なくて、3日で帰ってくる可能性も高くなります。
ようは、「英語だけ」を学んで来てくれるわけはなくて、「現地に慣れる」こともセットになって「留学」なのだと今は思います。11:50 PM Jannat -
ちゃんぽんの話、本当によく分かります!
私の周りにもそういう家庭、ありました。
「今日はホームワークとかティーチャーからのレターないの?」
「No Mum, we don’t have any homework today」って子供は全部英語で返すし。
うちと全く違って新鮮でいて奇妙だなと感じました(失礼!)。これは私の勝手な見解ですけど、もしかしたら日本人のお母さんは「将来は英語・外国語が喋れた方が子供にとって有利、それに自分ももっとちゃんと外国語をしゃべれるようになりたい」と思うあまり、日本語をキープさせるのに疎かになってしまうんですかね。
でも絶対子供は大人になった時に「日本語・もう一つの語学がちゃんと喋れない、あるいはどちらも中途半端」となってしまったら、親はどう責任取ってくれるんでしょ?もちろん、人の生き方は人次第ですし、他人がどうこう判断するものではないですけど。
あたしも一時期、NZに長くいたせいか日本語で自分の気持ちを伝えられない事があってショックでした。
(母親と喧嘩している時だったので、自分の気持ちを日本語で伝えられない事に尚更イライラ。母親に英語で喋るなんて、生理的にできないのです)今はまた日本に住んで仕事をしていて、次第に日本語の質が上がってきましたが、それでも時々つまづく事があります。
この前も仕事で「同等」と言おうとして「ドウテイ」って言っちゃったし…恥。
3:28 AM ネコグチ -
ネコグチさん、笑!でも「同等」を「どうてい(童貞?)」と読む、とかそういう間違いはどんどんしていいと思うんですよ、だって間違わないとわからないもん!ちなみに私の友達(Bさん)には過去に次のような間違いをした人がいます。
Aさん:「なにを悩んでるの?」
Bさん@日本語勉強中:「しつこい」
Aさん:「は?しつこい?!」で、、、Bさんが言いたかったのは、「失恋をした」ということ。「失恋」を「しつこい」と読んでしまったの!まあ誤解が解ければかわいいもんです。
それから「言葉ちゃんぽん」(英語と日本語をゴッチャに混ぜて話したり)というのは、残念ながらそれが身についてしまうと、それが外では通用しない、または通用しても、それはキチンとした話し方ではない、ということですよね。そう考えるとバイリンガル教育って本当にむずかしいですよね★サンドラ★9:08 PM サンドラ・ヘフェリン -
そういえば、私が子供のときはインターナショナルスクールに通うと、英語と日本語がちゃんぽんになってしまうことが多く、うちのお母さんに、「家ではどうしても日本語オンリーになってしまうから、英語がちゃんと覚えられないか、ちゃんぽんになってしまう。日本のインターナショナルはだめ!」といわれました。
実際、日本のインターナショナルスクールに通った日本人の子供たちは、英語と日本語がちゃんぽんで、英語圏に行ってもそれが抜けない子がとても多かったのには驚きでした。だから英語圏に行ってもきちんとした話し方ができない子も多いそうです。7:47 PM Jannat -
Jannatさん、アイデンティティー的な部分(自分はナニジン?)は別にしても、少なくとも言葉の上ではその国の人になり切らないとダメだと私は思ってます。そんなドイツ語と日本語をちゃんぽんにした言葉で大人として社会的に認められるのは難しいですからね・・・こんな事を書くとお説教みたいになっちゃうけど。
ただ、仕事や公の場での「ちゃんぽん」はダメだけど、プライベートで私は今、日本語とドイツ語のバイリンガルの友達が何人(なんにん)かいるけど、彼らとちゃんぽんで話すのは好き!子供の時ずっとダメって言われてた事を今やってる(笑)★サンドラ★9:48 AM サンドラ・ヘフェリン