「ハーフ」が年をとると・・・

2015.12.6

先日40歳になりました。人生80年だとすると、40歳は折り返し地点ということで(?)まあ色々考えたりするわけです。

これからの人生を考えるとともに、今までの人生を振り返ったりもしますが・・・その中で自分の20代なんぞを振り返ってみると、いやあ本当に色んな経験をさせてもらって楽しかったんですが、「生きやすさ」を考えると、絶対、今!!です!

20代よりも今のほうが断然生きやすい。色んな要素が関係しているのだけれど、「ハーフの20代」ってある意味ステレオタイプだし、周りにいろいろ言われるしで、それは大変でした。

以前「質問されるハーフ」というコラムを書きましたが、”20代のハーフ”はそれ以上に周りからの疑問と質問が多く、良い意味でも悪い意味でも関心を持たれることが多いのですね。

私の場合、20代の頃は、模索して仕事面でも色んな仕事をしましたが、これが不思議で、フリーランスで色んな活動をしてる時は「せっかくハーフでバイリンガルなんだから、企業に入って、もっとバリバリ働けばいいのに!」と言われたり、かと言って、20代後半で日本の企業に就職してからは、「せっかくハーフなのに、企業に縛られて、ほかの人と同じようなことをするなんて、もったいない!会社に縛られず、フリーでもっと色んな活動を自由にやればいいのに。」な~んてことを言われたりしたのでした。

まあ周りがなんと言おうと気にしないのが一番ですが、20代はこういう周りの人の言うことがやっぱり気になってしまうんですよねえ~。ほんで、そうでなくても、自分の選んだ道に「これでいいのかな?」と思っているところに、さらに自信がなくなってしまうわけです。

当時(20代)の私を特に苛立たせていたのが、「ドイツには住まないの?結婚したら、やっぱりドイツに住むんでしょ?」というような「問いかけ」。

思い返せば、若かった時は、とにかく「どうして●●しないの?」って質問を頻繁にされていました。

まあ、これ「若い人」そして「ハーフ」に対して投げかけられがちな質問なんですよね。なので「若い」と「ハーフ」が一つのセットになった場合は、更に周りからの「どうして●●しないの?」って問いかけがすごいわけです。

思うに、親世代など周りの大人は「自分が達成できなかったこと」を、20代の若いハーフに「託す」ことも多いのだと思います。

いわば「自分がしてみたかったけど、できなかったこと」を若いハーフに託すのですね。それが「どうして外国に住まないの?」「どうして、せっかくバイリンガルなのに、●●しないの?」などの質問につながるのだと想像。

そして、いま。

はい。「どうして●●しないの?」は聞かれなくなりました!(笑)

年金生活になったらわかりませんが仕事をしている間は私はドイツに住むことはなさそうですし、そこを「ドイツに住まないの?」と聞いてくる人は現在皆無です。もしかしたら結婚相手がドイツ人ではないので、諦めてくれたのかもしれません。

結婚によって「あらま、ご主人が日本人だからこれからもずっと日本にお住まいなのね?」というような感じで、相手にとっては自然な形で受け入れられることも多くなった気がします。(よい悪いは別として。)

それはそうと、若いハーフって本当に不思議で、良い人もいっぱい声かけてくれるけど、なんというか怪しい人にもいっぱい声をかけられます。

中年になると、怪しい人からは声をかけられるどころか存在自体を無視されますので、それはこっちにとっちゃオーライです。ムダな労力使わずに済みますし。

話を元に戻すと・・・人は10代や20代の若いハーフに無限の可能性を感じ、ハーフにいろんな夢を託しますが、それが良い場合もあれば、「もったいない!なんで●●しないの?」というように『ハーフが何をしても満足しない』側面も持ち合わせているのでした。

(あ、でもたとえば「ローラ」みたいに、だれから見ても活躍している人なら、そういうことはもしかしたら、言われないのかもしれません。でも、一般社会の私のような凡人ハーフは常に中途半端感がついて回るだけに、周りからはいろいろと言われがちでした)

しつこいようですが、40代というか要は中年になりますと、良くも悪くも能力もはっきりしてきますので、周りからの「ハーフなんだから、これこれをせよ」的な声はウソのようになくなるのでした。めでたしめでたし。

私の場合、これからは「ハーフとしての葛藤」というよりも、いかに今以上太らないか、とか、健康維持が課題となりそうです(笑)

とはいっても、「ハーフ」であることに変わりはなく、先日の「郵便局」のようなシチュエーションに直面することも多々ありますので、まだまだ書いていきます!

今後ともよろしくお願いいたします。

★お知らせ★今晩(12/6)の22時からFMヨコハマの『SUNSTAR WEEKEND JOURNEY』に出ます!テーマは「ドイツ」です。ぜひ聴いてください★☆

サンドラ・ヘフェリン

コメント

  • 「帰国子女」が年を取っても同じです ^^; 
    私もアラフォーになり、子供がいるからなのか、周りからこうしろ、ああしろ、という声はびっくりするほど聞かなくなりました。それだけ、もう能力の限界も見えたおばさんになったからなんでしょうけど、アラフォーになってからのほうが外野の声がなくなった分、生きて行くのがだいぶ楽にはなりました。

    20代の時は「外資系に勤めないなんてもったいない」「英語を活かさないなんてもったいない」「日本みたいに閉鎖的なところじゃなくて、外国へ行けばいいじゃない」とか結構言われました。(その外国だって、日本よりも閉鎖的なところはあるんですけどね --;)

    9:50 PM Jannat
    • Jannatさん、
       
      コメントありがとうございます!年をとることで、そういった周りからの好奇心のようなものから解放されるので、楽になりますよね。ちなみに、私は昔も今も、「色々言われているうちが華よ~」という発言が大嫌いです(笑)なので、20代の頃も「色々言われている今が華なんだな」という具合に納得はできなかったですね~。やっぱり多くが「雑音」に聞こえてた。だって、例えば自分は自分の考えがあって、日本にいるのに「なんでドイツに行かないの?」ってのは、お友達とお茶でもしながら人生について語り合っている時ならまだしも、たいして知らない人に挨拶代わりに気軽に言われると「?!!」ってやっぱり思ってたし。

       
      >20代の時は「外資系に勤めないなんてもったいない」「英語を活かさないなんてもったいない」「日本みたいに閉鎖的なところじゃなくて、外国へ行けばいいじゃない」とか結構言われました。

       
      ↑帰国子女もハーフも、聞かれる質問はだいたい同じですね(笑)

       
      コメントありがとうございました^^★サンドラ★

      11:47 AM サンドラ・ヘフェリン
  • これまで,サンドラさんの記事のみならず,皆様からのコメントを拝見していましたが,今回は初めて,外国に「つながり」をもつ立場として,コメントをしたいと思います。外国に「つながり」をもつ立場と書いたことにつきまして,わたし自身がどういった立場なのかを,少しだけ書きます。わたしは,台湾系日本人で,日本で生まれ,生まれながらにして日本籍を保持しています。

    今回の記事を拝見して,わたしなりに考えたことは,いまだに日本社会においては,外国に「つながり」をもつ人々にたいする,(マジョリティの)日本人(サンドラさんのおっしゃる,「純ジャパ」に相当すると思います。)の「思い込み」,「刷り込み」が,とても強いということです。

    たとえば,わたしは台湾系日本人で,そのことを知った(マジョリティの)日本人のなかには,「日本と台湾の友好のために,頑張ってくれ。」,と,わたしに「助言」をした人々がいました。外国に「つながり」をもつ立場ではありますが,なぜ,日本と台湾の友好のために貢献しなければならないのかと,いつも疑問に思うのです。そして,なぜわたしが日本と台湾の友好のための「人材(あるいは,要員)」にならねばならないのかと問いかけたところ,「あなたのような存在が,台湾との交流には重要だからだ。それに,日本は中国(中国大陸,中国共産党のことを指します)とのあいだに“問題”をかかえているので,台湾の存在は日本の将来にとって,とても重要だ。」,という答えが返ってきたのです。台湾の人々は,(マジョリティの)日本人が思うような「国益」のために存在しているわけではないと思います。さらには,国際交流を実践することにおいて,外国に「つながり」をもつ立場の人々のプリゼンス(存在感)は,「必須条件」なのでしょうか? 他者を理解しようとする「努力」を怠(おこた)らないことに優(まさ)るものはないというのが,わたしの考えです。外国に「つながり」をもつ立場の人々「だけ」が出来ることではなく,先に述べた「努力」が出来る人々であれば,誰でも実践できることだと思います。

    わたしは台湾系日本人という立場で,日系人の歴史についても勉強をしています。今回の記事について,わたしがもうひとつ思ったことは,先に述べた「思い込み」,「刷り込み」は,(マジョリティの)日本人の,日系人にたいする「まなざし」においてもみられることです。少し前のことですが,日本とアメリカとのあいだで,貿易摩擦の問題がありました。このとき,日本政府の対応を批判していたアメリカの人々のなかには,日系人の政治家がいました。日本のマスコミにおいては,日本政府の対応を批判する日系人の存在に,「違和感」をとなえる人々がいました。日系人という立場にもかかわらず,なぜ日本政府のやり方に理解を示してくれないのだろうか? 日系人はアメリカの政府のために「利用」されているのではないのか? このような「違和感」をとおして,(マジョリティの)日本人が抱(いだ)くだろう,日系人にたいする「まなざし」を,うかがい知ることが出来ると思います。そして,興味深いことに,このことについては,第二次世界大戦における歴史認識の問題においても,似たような状況が存在しています。

    数年前のことですが,ある著名な日系人の実業家が,退役軍人の集会において,「日系人は日本とアメリカの「架(か)け橋」ではない。」,という内容の演説を行いました。アメリカ社会のみならず,国際社会のさまざまな場で活躍することのほうが,日系人の将来にとって,とても重要だというのが,彼が聴衆に語りたかったことだと思います。この演説の内容については,外国に「つながり」をもつ立場のみならず,さまざまな「バックグラウンド」をもつ人々にとっては,「励まし」になるのではと思います。(この演説の背景には,アメリカ社会において,(マジョリティの)アメリカ人の,日系人を日本とアメリカの友好において,欠かすことのできない存在であるという「まなざし」が存在することを,つけ加えておきます。) 外国に「つながり」をもつ立場として,いつも思うことは,(マジョリティの)日本人は,当事者の「人生設計」にかんして,個々の「人生設計」を尊重してほしい,ということです。外国に「つながり」をもつからといって,必ずしも,国際交流が「適任」というわけではないと思います。わたしのことについて言えば,台湾系日本人でありながら,現在は日本人と日系人の「接点」について勉強をしていて,台湾とのあいだに「距離」が発生しています。(これについては,アジア・大洋州系アメリカ人の歴史についても勉強していますので,この「距離」については,縮まりつつあるものと思います。) (マジョリティの)日本人においては,「柔軟な態度と認識」で,外国に「つながり」をもつ人々のことを理解してもらいたいと思います。

    7:06 AM T. Go
  • どうして○○しないの、、、でよく言われる事は、 やっぱり「どうして子供をバイリンガルにしないの?」が一番多かったような気がします。 うちは子供が二人生まれた時点で、 もう日本に実家もなかったので、 そう簡単に日本に帰れない事情もあり、 子供達は4人のうち3人は日常会話レベルの日本語を喋りますが、 4人目はやる気もないうえにとんでもなく忙しい子供なので今は日本語の優先順位は、 結構下のほうにあります。
    私だって半分近く台湾の血が入っていますが、 父からして日本語教育で育ったので、 中国語が苦手という感じでしたから、 私にいたっては、 台湾の血が入ってる事さえ時々忘れるレベルのハーフじゃないけどハーフで、中国語は今のところ諦めたまま人生を送っています。

    そして、 アメリカに住んでいると、 よく言われるのが、 「どうしてアメリカ人にならないの?」です。 めんどくさいので、 「不精だから」って事にしてあります。 (笑)

    12:23 PM きいろ
  • きいろさん( 12:23 PM)へ,

    >どうして子供をバイリンガルにしないの?

    子供をバイリンガルにすることは,容易なことではありません。家庭内の環境のみならず,通っている学校,交流している友達など,「外的な要素」が,大きく影響するものと思います。たとえば,わたし自身のことですが,わたしの母親は,日本語と中国語,台湾語の3つの言葉を,わたしに話してもらいたいという願望がありました。でも,これは単なる願望にすぎませんでした。(そのような願望を持つのであれば,自分自身で日本語を勉強し,(マジョリティの)日本人以上に,日本のことを知ればいいのだと思います。でも,わたしの親は,そこまで深く物事を考えることは,ありませんでした。)

    わたしは日本教育を受けたのですが,わたしが日本教育を受けていた当時は,いわゆる管理教育の影響が色濃く反映されていた時代であったことから,学校という場において,「ガイジンのアイデンティティ」を表に出すわけにはいかなかったのです。また,周囲の教師で,外国に「つながり」をもつ子供たちの「心の内」を,理解できる先生は,ひとりもいなかったのです。外国に「つながり」をもつことについては,その「アイデンティティ」が腫れ物として見なされ,さらには,心無い(マジョリティの)日本人の子供たちからのイジメ,嫌がらせに,わたしはずっと耐えていました。

    わたしの親は,わたしが日本教育を受けているあいだ,さまざまな「苦労」があったことについては,あまり深くは理解していないと思います。なぜならば,外国に「つながり」をもつ子供の「心の内」を,外国に「つながり」をもたない親が理解できるはずがないからです。親子の関係とはいえ,親は子供のことなど,理解できないのです。そして,子供はというと,必死になって自分自身で活きる(生きる)ための「術」を見つけねばならない,というのがわたしの考え方です。日本社会にいるわけですから,周囲の(マジョリティの)日本人から認められるためには,日本のことを,ひとつでも多く理解しなければならないという気持ちを,わたしはもっていました。日本のことを深く理解すれば,いつかは(脚本家のつかこうへい氏のようではありますが),外国に「つながり」をもっていても,周囲の(マジョリティの)日本人は,わたしのことを認めるだろうという,「淡い期待のようなもの」を,わたしはもつようになりました。小学校の高学年になると,学習塾に通うようになりましたが,国語や算数の勉強はそっちのけで,社会の勉強しか,わたしはしませんでした。それは,(マジョリティの日本人から受けてきた)イジメやら,嫌がらせから「逃れる」ための,ひとつの手段のようなものでした。中学校に入っても,わたしは,日本の歴史や地理の勉強を欠かしませんでした。お蔭様で,これは大学に進学したときに,日系人やアジア大洋州系アメリカ人の歴史を勉強するようになったのですが,そのための「大切な糧」になりました。

    外国に「つながり」をもつ子供たちの教育については,これはとても厳しい意見になると思いますが,お父さんお母さんにとっては,多大な経済的な負担になることは深く理解しているものの,国際結婚のひとりの「当事者」として「セキニン」を負ってもらいたいというのが,わたしの考え方です。わたしは,みずからが受けた日本教育のことを,いまでも疑問に思っています。わたしは,アメリカの大学に通ったのですが,なにも,日本社会のなかで,管理教育によって「抑圧」されるような経験なしに,「オルタナティヴな進路」を経てアメリカの大学に通うという「オプション」が,どこかにあったはずです。それが,インターナショナル・スクールへの進学だったり,あるいは,中華学校への進学だったり。わたしの親は,最後の最後になって,アメリカの大学への進学という,「極めて素晴らしいオプションを」,わたしに与えてくださったのですが,それがあったからといって,日本教育時代の「苦い思い出」,「辛い思い出」が,水に流れるわけではありません。わたしは死ぬまで,「抑圧」の経験とともに,活きなければならないと思います。あるオーストラリアの歴史学者の主張に似ていますが,過去が死ぬことはありえないのです。「悲しい出来事」,「辛い出来事」と,つねに向き合わねばならないというのが,わたしの考えです。そして,「悲しい出来事」,「辛い出来事」をとおして,ひとりでも多くの,(マジョリティの)日本人にたいして,「多文化共生の大切さ」を説かねばならないという気持ちも,わたしはもっています。

    >父からして日本語教育で育ったので、 中国語が苦手という感じでしたから

    わたしのアマー(祖母)についても,きいろさんのお父様と同様に,近代日本の影響を,大きく受けた人物です。(アマーのような,「用語」を使うことは,とても大切なことだと思いますが,その一方で,(マジョリティの)日本人のなかには,このような「用語」が使われることに,「強い違和感」をもつ人々は,少なくないと思います。) わたしのアマーは,日本語を上手に話します。もしかしたら,(マジョリティの)日本人以上に,日本語を理解しているのだと思います。数年前に,綾小路きみまろさんのDVDを,親戚の方が送ってくださったそうで,それを観てゲラゲラと…,日本語のわからないお孫さんのひとりが,とても心配されたとのことです。「あれから40年…」,のくだりを聞くたびに,大笑いしていたとのことです。アマーの存在について考えるたびに,わたしは,(マジョリティの)日本人にたいして,「強い違和感」をもちます。アマーの知っている日本とは,近代の日本で,それは,日系人にとっての,日本でもあると,わたしは思います。あの当時の日本社会と,現在の日本社会。「暮らし向き」という点については,現在の日本社会は,とても素晴らしいものだと思います。しかしながら,アイデンティティという点においては,わたしは,現在の,(マジョリティの)日本人は,アイデンティティというものを,ひどく軽視していると思います。

    >私だって半分近く台湾の血が入っていますが、

    わたしなりの考え方ですが,わたし自身は「知日的存在」になることを,目標としています。外国に「つながり」をもつ立場は,「難しい立場」であると思います。いまだに,単一民族という「虚構」が,事実であるかのように受けとめている,(マジョリティの)日本人は,少なくないと思います。そういった社会事情を考慮すると,わたしは,(マジョリティの)日本人がいうところの,「日本人」には,一生なれないと思うのです。どんなに日本のことを理解しても,日系人のことを理解しても,わたしはしょせん,「ガイジンの子供」,だからです。このような見方をしない,良心的な日本人がいることを,わたしは知っていますが,それでも,現在の,排外主義の高まり,排斥運動の広まりを考えると,わたし自身は,日本社会において,わたしが生きているうちは,わたしのような立場の人々が,日本社会のなかで“accepted”されることはないだろう,というのが,わたしの率直な思いです。わたしは,物事を楽観視していますが,それでも,外国に「つながり」をもつ立場として,数年前の群馬県桐生市での「事件」がありましたが,「怖いな…」と思うことがあるのです。「日本人」にはなれないけれど,それでも,みずからの努力で,「知日的存在」にはなれるだろう,というのが,現在の日本社会の事情を考慮したうえでの,わたしの「心の内」です。

    >どうしてアメリカ人にならないの?

    これは,とても難しい問題だと思います。アメリカ人になるのであれば,アメリカの歴史について,深く理解する必要があります。そのうえで,アメリカ人になる「覚悟」が,必要になると思います。その一方で,「デニズンシップ」,「コスモポリタニズム」という考え方もあります。従来の国民国家にたいする考え方から「脱却する」という「オプション」について,深く検討する必要があると思います。

    10:42 PM T. Go
  • >どうしてアメリカ人にならないの?

     私も同じような質問をよく受けますが、大体において、質問者は国籍やシチズンシップに関して、特に深く考えているわけではないようです。(この国に何年も住んでいるのに、どうしてこの国の国籍がないのかな?)程度の疑問です。その背景には、「多重国籍は普通」という考えがあるのではないかと思います。日本の国籍単一原則を説明すると、ショックを受けると同時に、「なるほど~」とうなずいてくれます(笑)。

    8:04 PM SKM
    • SKMさん、
       
      コメントありがとうございます!

      アメリカでもアメリカ人に「どうしてアメリカ人にならないの?」と聞かれるんですね!確かに、日本は血統主義ですし、国籍も原則一つしか認めていないので、アメリカ人からしたら不思議かもしれませんね。。★サンドラ★

      11:23 AM サンドラ・ヘフェリン

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