ドキッとする言葉「根無し草」
皆さんは聞いてドキッとしてしまう言葉ってありますか?
たとえば体型を気にしている人なら、体型ネタを聞いてドキッとしてしまうとか、
語学ができないのがコンプレックスの人は、「英語ペラペラ、バイリンガル、帰国子女」というキーワードに反応してしまい冷や汗をかいたりドキッとしてしまうとか、
結婚したいのにできない場合は「結婚」と聞いてドキッとしてしまうとか・・・
私自身もドキッとしてしまう言葉はたくさんあるわけですが、その中の一つに(これはハーフという事と関係しているのですが)
「根無し草」という言葉があります。
喫茶店なんかで他人同士の会話の中に「根無し草」という言葉が出てくると、会話の内容が気になって気になって仕方なかったり、動揺してしまったりします。
「根無し草」にドキッとしてしまうのですね。
この「根無し草」という言葉、最近の若い人はあまり使わない言葉ですが(少なくとも私は20代の人同士の会話の中に、この言葉「根無し草」が登場するのを聞いたことありません)、中年またはそれ以降の年齢の方の会話にはたまに出てきます。
先日ある女性(比較的ご高齢の日本人女性)が
「ウチの娘はアメリカやドイツのインターナショナルスクールに行っていたでしょう?高校生の時に日本に戻ってきた時に、そのまま日本国内のインターナショナルスクールに入れたらいいんじゃないの?と周りの人に勧められたんだけど、それだとウチの娘は根無し草になってしまう、日本人としての自覚がなくなってしまう、と私は思って、娘は日本の高校に通わせたの。日本人だからやっぱり日本人としての自覚を持って大人になってほしい、と思って。」と話していて、私はその間ずっとドキッとしっ放しでした(笑)
理由は、うわー、その基準で言ったら、私とか、多くのハーフは「根無し草そのものじゃん」と感じたから。
色んな国や色んな文化を行き来した結果いわゆる「グローバル」な人間になると、「●●人としての自覚」「●●人としての誇り」というのは確かに薄れてくる場合も多いと思う。けれど薄れてくる事が必ずしも悪い事かというと、どうだろう。薄れてくる事でかえって他の国の人の立場にも感情移入しやすかったりする。そして、それは他の国の人と仲良くなるための一歩だとも思うのだが、皆さんはどう思われますでしょうか。
もしも「根無し草」が問題視(⇒根無し草)されるのだとしたら、たぶんハーフは問題児だらけだと思うのです(笑)
とくに言葉が二つ(またはそれ以上)母国語並みにできるハーフに関しては、二つまたはそれ以上の国・言語・文化と深くかかわってきたので、「一つに絞る」ことは難しかったりするわけで、そうすると、まあ「根無し草」の仲間入りなわけですね。
根無し草って、色んなところをフラフラしているみたいな感じで、悪い意味で使われていますよね。
だから私は聞いていてドキッとしてしまうのだ。(ほかのハーフはどう感じるかわからないけれど)私がここまでドキッとしてしまうのは、おそらく心のどこかに「完全なその地に根付いたドイツ人でありたかった」とか「容姿も華奢な感じで一つの指針に沿って育った日本人でいたかった」という願望がどこかにまだ残っているからなのだと思う。それはつまり「ごくごく平均でありたかった」という願望なのかもしれない。
自分が動揺したりドキッとしたりする言葉について考えるのも自分を内省する意味で興味深いですね。自分のドキッとする言葉を一覧にしてまとめてみたら自分の心理状態がよくわかるかもしれません(苦笑)
P.S.
9月17日(火)に発売予定のコミックエッセイの絵を描いてくださったヒラマツオさんのブログです。ぜひご覧ください☆
サンドラ・ヘフェリン
コメント
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私が思うに、「日本人としての自覚」やら「誇り」やらハーフとしてどうのこうのというより、自分自身が「どうありたいのか?」が重要なのだと思っています。「どうしたいのか?」を決めれば、自ずと周囲の反応や現実も変わってくるのではないでしょうか?
5:43 PM 蒲田乃おセイ -
蒲田乃おセイさん、
コメントありがとうございます!「何々としての自覚」や「何々人としての自覚」よりも、自分がどうありたいかですよね。よけいな事にとらわれず縛られず生きていこうと思います★サンドラ★7:56 PM サンドラ・へフェリン -
一般化すると、一つに徹するか、複数に分散するか。血統、言語、文化、知識など。一長一短としか言いようがない。もう、一つに徹しうる時代じゃないし、人間の血統も、究極は、万人混血なので、その区別はかなり相対化されるのかな。ほんの感想。
6:16 PM きゅうる村 -
きゅうる村さん、
コメントありがとうございますm(__)m
>もう、一つに徹しうる時代じゃないし
↑というの、ほんとうそうですよね。今さら(時代は)戻れないんじゃないかと思います(鎖国でもしない限り)。★サンドラ★7:59 PM サンドラ・へフェリン -
「ご高齢の日本人女性」の言葉を読んだ時に私が感じた事をコメントしようと思ったら、その後に「御意!」と膝を打ちたくなる文を書いてらっしゃいましたね!
ほんとに「紙一重」なんだと思います。
きわめて保守的な考えに立てば「日本人としての慈覚を育てる」という其の行動も必要なのでしょうが、幾つもの国の言葉や文化に接することに寄って母国人の慈覚が育つ例もありますよね?
後は後半に書いてらっしゃる「個人的感覚による捕らえ方の違い」もあるのでなんともいえませんが、少なくとも私はこの例の場合「言葉の意味」程悪いニュアンスだとは思えません。
まあこの場合サンドラさんに「気にしないでいいんじゃないですか?」と言っても気にしてしまうんでしょうね!!(笑)6:39 PM 八木茂明 -
八木茂明さん、
コメントありがとうございます。
そうですね、保守的な考えの人から見れば「根無し草」は悪いことだとされますし、日本人としての自覚がない、日本人として誇りをもっと持ってほしい、という事になるのでしょうが、これからの日本を世界規模で考えた場合、そして他の国の人達との交流を考えた場合、根無し草的な存在の人達も必要なんじゃないかなって思います。どこの国の人も各自全員が「自分の国に一番誇りを思ってる。」「自分の国が一番」を強調し過ぎると国際社会で(政治レベルでも個人レベルでも)上手くいかないんじゃないかなと思いますね。現に世界で戦争に走ったり戦争に走りそうな国っていうのは「我が国としての誇り・自覚」といったナショナリズム的な要素を強調していますしね。そういった事をいったん措いた上で考えてもいいんじゃないかと思いますね。★サンドラ★8:05 PM サンドラ・へフェリン -
私は在日韓国人ですが、自分の事を「根無し草」って言ったりしますね。それはなんか古めかしい言葉を使って笑いを取るみたいな使い方ですが…。(20代です。)
私の場合は自分の事を確固たる韓国人とは思ってませんし、日本人とも思ってないです。
常に揺らいでますね。ハーフの方と近い感覚の揺らぎ方なのかもしれないですね。9:20 PM すー -
母は日本人、父は在日韓国人です。
根無し草、すごくわかります。
国籍は韓国で育ったのは日本、韓国に行っても私にとっては外国だったりします。
育った環境は、父方の祖父母と同居、しかし母が日本人なので在日文化と日本文化のミクスチャー文化でした。
韓国人でも日本人でも、在日でもない。
で、色々悩んだり考えた結果、「根無し草こそが自分なのだ」という結論になりましたけど。笑10:19 PM hooja -
むしろ進んで自分の事を「根無し草」と言っているタイプです。
英語だと「tumbleweed」とか言って「さすらい人」の様なカッコイイイメージすらありますね。私の個人的なヒーローはムーミンに出てくる旅人のスナフキンなので、根無し草万歳です。とは言え、帰属意識ってのは決して「学校に行って学習する」物では無いと思います。日本の学校に行こうがインターに行こうが、帰属意識を持つ人もいれば持たない人も出てきます。親や住んでいる場所の影響も強いですが、子供の頃の小さなエピソードやテレビで見た光景に作用されて強い帰属意識を持ってしまう事もあります。私の様に古い家系の為に日本に対して変わった帰属意識を持っているハーフもいます。千差万別十人十色です。
ただ、根にコダワリ過ぎると柔軟性が失われて自分を客観的に見れなくなってしまうのは確かだと思います。客観性が無ければ自分の意見にたとえ間違いがあってもそれに気付く事は難しいし、気付いてもそれは自分のアイデンティティの一部なのでから変えるのはとても勇気が要ります。一度根無し草になるとその点は気が楽です。帰属意識を持ちながらもちょっと距離を置いて見ている感覚と言えば良いでしょうか。
恐らく私は100%純ジャパと分かり合える事は無いと思いますが、この微妙な距離感を保ちながらこの国の行く末を考えて一緒に悩んで行くつもりです。
12:34 AM テッド -
興味深く読ませていただきました。
「根無し草」には、どこにも帰属していない人・自由人というイメージがあります。
「根無し草」と似ているようで違う言葉が「国際人」だと思います。よく日本の大学のHPの教育方針の欄に、「国際人の育成」という表現がありますが、ここでいう「国際人」とは、基本的に、地元・故郷と結びついた上で、国際感覚を持った人材の育成を意味していますから。
サンドラさんが紹介されたご高齢のご婦人はネガティブな意味で使っておられるようだし、逆に、憧れの対象としてポジティブに捉える人もいます。(私はどちらかと言えば後者です)
確かに、帰属意識・ルーツ・故郷・郷土愛等は、個人の重要な基盤に〈なりうる〉とは思います。けれども、ルーツが一つである必要はないし、帰属意識を持たない(あるいは持てない)こと、ルーツが複数あるという要素も、その人の重要な基盤になると思います。
だから、その日本人女性の方が言われるように、「インターナショナルに通うと云々」の考え方も、、また逆に、「インターナショナルに通わせて国際性を養う」という考え方にも、私は同意はできません。そんな簡単なものではないだろうと。
何の迷いもなく「○○人」と言える人、ハーフをはじめルーツが複数の人、あるいは移民の二世、亡命した家族の子供、みなそれぞれが時に悩みながらもアイデンティティーを形成していくわけですから。
5:45 AM Bavariya -
上のテッドさんがおっしゃってる
>帰属意識ってのは決して「学校に行って学習する」物では無いと思います。
に同感です。愛国心や郷土愛というのも、教えるものではなく、人によっては、自然に芽生えてくるものだと思います。
ドキッとする言葉とは少し異なるかもしれませんが、「日本人の横綱の誕生が待ち遠しい」といった表現に「またか…」とうんざりします。しかも、相撲中継の実況や解説をする方々がよく使いますね。
私は、中高生のころから、ある報道のあり方にも違和感がありました。
海外で事件や事故があったとき、まっさきに「日本人の犠牲者はないもようです。」と報道されることです。私は、それを繰り返し聞くたびに「(日本人の犠牲がないん)だったら、それでいいの!?」と思っていました。
そしたら、ある日の新聞の投稿欄に全く同じように感じていらっしゃる方の意見が載っていて、うれしく思ったことを覚えています。
すると後日、その意見に対しての投稿がありました。「日本語を聞く、読む人たち、日本に住んでいる人たちに対して、身近な人の無事や安全をまっさきに知らせることは、大事なことです。」というような意見が載っており、なるほどなぁと思ったことも覚えています。話がズレましたが、このコラムのように意見を交わすこと、議論することはとても大事ですよね。
「日本人の…」という言葉に敏感なくせに、つい使っている自分自身にドキッとすることがあります。
7:39 AM JM -
根無し草なんかじゃなくて、根っこが横に色んな方に広がっていて、ここから、あ、あそこからも、ちょっと色の違うお花が咲いてるよ!ってイメージです。根っこが下にだけ伸びていて、その上にまっすぐ一本、の花を咲かせる人生もいいけれど、色んな色の花を咲かせる人も素敵。その人の経験とか、人生によって色も違う。それを面白いと思える人になりたいものです^^(地域柄ハーフのクラスメイトが多い息子にも!)
10:09 AM リリー -
なるほど、ドキッとするからには
何かあるんでしょうね。私は日本人としての誇りとかそういうところは
どちらでもいいと思いますが
ハーフの娘には、「ただいま!」と言ったら
「お帰り!」という場所というか、
コミュニテイというか、
そういう場をつくってあげたいな、と思っております。
「あ~、帰ってきた~。
あのお店も、まだ変わらないな。
あそこのレストランに行こう。
xxさんは元気かな。」っていう、
そういう場所です。
正に「根無し草」のような生活なので。10:14 AM Jane -
ごくごく平均でありたい、という気持ち、小さい頃日本にいた時はとても強く思ったことです。できるだけ目立ちたくなかったですし、みんなと同じでいたかった。
でも、今は自分は自分、どこにいても、私自身がしっかりと自分が何者であるのか理解しているので、気にならなくなりました。
根無し草って確かにネガティブな使い方されますよね。根無し草じゃ困る、という考え自体がもう古い!?根は国に伸すものだという考えがおかしいかな、と。無数の根があちこちに広がっていてもいいし、ちょこちょこと植え替えて移動してもいいし、根っこなんかなくたって、元気に生きていく植物だってあるんです。自分はどの国に属するのか、という事よりも、自分はどういう人間なのか、ということを理解する事の方が私にとっては大事に思えます。12:00 PM 鮎 -
私の両親は家制度で育った人なので、自分の娘はどれだけ海外で過ごそうと、どれだけ長い間外国語で勉強をしても、一度も海外へ出たことがない日本人と全く同じ、と思っているところがあります。私が一度「自分がナニ人か分からない。」と言った時も「Jannatは日本人!それ以外にはありえないし、なれない!」と一蹴されました。「こんな根なし草になるんだったら外国へやるんじゃなかった」とも言われました。
旦那さんと結婚した時も「子育てに失敗した!もっと条件のいい人と結婚してくれると思ったのに。」と言われました。
それがあるのか、今でも心の底から両親に「Jannatはこれでいいんだ」と思われていない、どちらからと言うと「私達は世間に恥ずかしくないように育てたのに、Jannatはそう育ってくれなかった」と思われている、といった不信感が今でもあります。私の娘には一切強制しませんが、自分は両親のように昔の保守的な日本人になってみたい、そうすれば両親は満足するんだろうな、という思いがどこかにあります。
根なし草、という言葉にドキっとはしませんが、心底日本人とは呼べない、という意味ではそうかも知れません。根なし草=ふらふらしていて安定しない、というイメージを植え付けられてしまうと、安定しないからダメな人、という自分自身のイメージを抱いてしまうと思うのです。実際、私がそうです。日本国籍を持っていて日本に住んでいても外国人のような生活をしているから日本人としてダメ、外国人という気持ちがあれば、いつかは嫌になってフラフラとさまよってしまうからダメ、と思ってしまうことがよくあります。だから自分の娘には「あなたは日本人にしかなれない」「あなたはバングラデシュ人にしかなれない」と言うつもりは全くありませんし、ナニ人か分からないと言うところだけを見て「根なし草」だと教えたくありません。逆に「私は日本人だからこうあるべき!こういう条件は外せない!」と頑なに思ってしまうほうが、海外へ出る必要があった時に馴染めずに苦労するのではないでしょうか。
私が日本国籍を持っているのに日本人になれていない、それはダメ、というイメージを必要以上に持たされたからなのか、娘にはそういったネガティブな考え方を押しつけたくありません。娘には娘の人生がありますから、国籍や人種に左右されることなく「これが私なんだ」という確固たるアイデンティティがあれば、それは「根なし草」ではありません。国籍や人種はその人の全てではないからです。娘には変に「自分はナニ人だから、ナニ人と思えない自分は根なし草でダメだ」と思わないで、自分の人生を生きて行って欲しいです。2:10 PM Jannat -
私がドキッとする言葉…。
それはズバリ「ハーフの気持ちはハーフにしかわからない」「ハーフの気持ちは純日本人にはわからない」というような言葉です。
色んなところでこのような言葉を耳にし、正直胸を痛めてきました。私の夫は「ハーフ」、娘たちは「クオーター」です。
私は夫と娘をあいしてますし、彼らの気持ちを理解したいと思っています。でも本当には理解できないとも分かっています。
私と彼らは別の人間なので。
「ハーフ」だからとか「純日本人」だから、という以前に。
同じ理由で、夫や娘たちにも私をすべて理解するということはできないでしょう。
(むしろ、この「同じ理由で」というところが人間関係の救いだと思っています。
夫が私と同じ「純日本人」だったとしても、私をすべて理解することはできないし、私が夫と同じ「ハーフ」だったとしても私は夫をすべて理解することはできないのです。)でもあいしているから頑張るのです。想像力やらなんやら駆使して。
というか、頑張るのが苦にならない相手、頑張ってすこしでも分かり合えたような気になれたらうれしい相手。そういう人間関係を愛と呼ぶのではないでしょうか。でも、上に書いた言葉を口にする人たちからみたら、私たち夫婦、親子はインチキな関係にみえるのかな、または無駄なあがきをしてるようにみえるのかな、などと思い時々悲しくなります。
人がどう思おうとそれにはその人の事情があり自由だし、人からどう見えるかなんて気にしなければいいとも思います。自分の信念、愛に自信があれば。
だから普段はあまり気にしてません。
しかし、愛って一方的なものじゃないから、いつも自信満々でいられなくても当然だとも思う。だからやはり胸が痛むことも時々はあるのです。1:43 AM ゆり -
上に追加説明。私はいわゆる「純日本人」です。
1:46 AM ゆり -
少し「根無し草」から逸れますが...
以前 BBC のラジオでドイツ人の高齢の女性が子供のころを振り返り「第一次大戦中だった当時、ベルリンの自宅で毎晩眠りにつく前に「神様、どうかドイツの兵隊さん達が勝ちますように」と祈っていた。でもある時ハッと私がこうして祈っている同じ瞬間、フランスやイギリスで私と同じようにフランスやイギリスの兵士が勝つようにと祖国の為に祈っている少女達がいるのではないかということを思った。」とおっしゃっていたのを聞きました。
愛国心って何なんだろうと考えさせられる言葉です。たまたまその国に生まれたのでその国に拘っているだけ?愛国心とか自分の国への執着なんて自己愛の延長でしかないのでは?とも思います。
私自身は純日本人ですが今まで日本・イギリス・ドイツの三ヶ国で暮らしてきました。各々の国を経験的に知るうちにそれぞれの文化・言葉・人々に愛着が生まれ、三つの国どれもが大切になりました。私もそういう意味で「日本人としての誇り」というのは薄れてきていますが、サンドラさんがおっしゃるように「薄れてくる事でかえって他の国の人の立場にも感情移入しやすかったりする」ので、多様な文化や考え方を受け入れる事が出来る今の自分の方が百倍良いと思っています。
7:57 PM Shoko A -
自身は40代ですが70年代に日本企業が海外に盛んに進出するようになり帰国子女が増えた当時から「根無し草」という表現は使われていたと記憶します。余りマイナスのイメージを持っていなかったのですが気にする人は気にするのかな。字面通り何処にも本格的に属さない事を指すのでしょうが、裏を返せば広く浅く世界を知っている人とも解釈できます。数多の選択肢を持っているということではないでしょうか。「日本人として」「日本人らしく」等便利に使われますが普遍的な価値観ではないと思うので(人により定義が千差万別)比較の仕様がないと思います。
9:43 PM エンテ