『ハーフと時代』(日独ハーフの視点25)

2011.10.26

私は70年代生まれなのだが、80年代や90年代、2000年代生まれのハーフ(まだ子供ですね)と話していていると彼等をうらやましいな、と感じることがある。

というのは、今はハーフの数が昔と比べ増えてきていて「仲間」を見つけることが簡単になってきているからだ。私自身は幼い頃、ハーフの友達を作れない環境で育ったので、ハーフは私一人だった。周りはほとんどが純ドイツ人や純日本人という環境だったので寂しいというか疎外感を感じたことがある。それに比べ今はハーフの数も多くなってきているため知り合う機会も昔より多いし、それに何よりインターネットがあるので、身近にハーフがいない場合でもネットなどでハーフの集まりを見つける事もできる。

そう、私の子供の頃はまだインターネットも電子メールも無い時代だったのだ!ドイツに住んでいた私は日本にいるおじいちゃんおばあちゃんや親戚、友達に「手紙」を書いて郵便局から送っていた.。手紙が日本に届くまでに一週間。そして返事が来るまでにまた一週間。(そういえば、封筒の裏に書いていた”West-Germany”は今は死語だなあ。)国際電話といっても、よほどの事がない限り当時は電話をかけなかったし、やりとりはほとんどが郵便だった。でも今はメール一本で簡単に連絡が取れる時代。そんな便利な時代に子供時代を過ごしているハーフがうらやましい(笑)

あと、私が子供の頃は今より飛行機代も高く、今ほど頻繁に日本とドイツを行ったり来たりできる時代ではなかった。当時、ドイツから日本へ行くのに比較的便利な航空会社はアエロ・フロートだったけれど(←アンカレッジ経由ではないため)、冷戦の時代だったため、モスクワで乗り換えの際に親が妙に緊張していたのを覚えている。そんな時代だった。最近は電車に乗るような感覚で飛行機に乗り、ドイツに住みながら一年に二回や三回日本に遊びに来ているハーフもいて、いいなー、私の子供の頃は考えられないことだったよ、なんて思う(笑)しかしこれは口に出してしまうと「アナタは知らないだろうけど、昔は・・・」と若者を前に説教を垂れるオジサンオバサンみたいになってしまうので、なるべく言わないようにしている(笑)

余談だが、今は「飛行機が便利!」だと思っているけれど、もしかしたら何百年後には「昔の人って飛行機で移動してたんでしょ?今はみんな『どこでもドアー』で行けちゃうのにね。」なんて未来の人が言っているかもしれません(笑)ANAやJALも「ANAどこでもドアー社」「JALどこでもドアー社」に社名が変わっていたりして。昔は飛行機を扱っていたけれど今はどこでもドアーなんですよ、なんて。

さて話を元に戻すと、たとえば90年代に生まれたハーフは物心ついた時にはインターネットもメールもあったし、電気製品や機械に囲まれて育ったせいか私から見ると機械オンチが少ない。いやはや、やっぱりこれもうらやましい!

でも実は一番うらやましいのは、インターネットやメール、移動の手段よりも、やっぱり社会全体が国際的になってきていて、その結果、ハーフに対しても学校などが昔と比べるとかなりオープンになっている、という点かな。

上に「学校」と書いたが、70年代後半や80年代前半は多くの日本企業がヨーロッパを含む海外に進出を図ったが、それと同時に世界各地で当時設立された「日本語補習校」や「日本人学校」の体制はとても国際的と言えるものではなかった。例を挙げると、ヨーロッパのある日本語補習校が、クラスの振り分けを子供の「人種」を基準に行っていた点。ハーフは当たり前のように「混血児」として『邦人クラス』ではなく『国際クラス』なるものに放り込まれた。ハーフ本人の日本語能力などは関係がなく、人種での振り分け。ハーフ本人の能力に応じて邦人クラスに入るか、国際クラスに入るかを選べるようになるまでにかなりの時間を要した。

70年代や80年代は、親がかなり学校側と交渉をしないと日本国内の小学校には入れてもらえないハーフも当時はいた。世の中が必ずしも「ハーフも我々と一緒に学べばよいではないか」という風潮ではなかったのは確か。

アメリカのある日本語補習校の小学校に関しては当時、日本国籍のハーフの子供のみ入学を受け付け、日本国籍以外のハーフに関しては入学の道が閉ざされていた。ハーフの子供が日本語を習おうという時、親と子供がその気になっていても、周りは決してそれを応援するような体制ではなかったのだ。

当時は日本人の教育関係者にも「ハーフはどう転んでも日本人ではない。」と考えている人が非常に多かった。「当校は日本人の学校ですので、混血のお子さんは国際クラスなんですよ。」と『混血のお子さん』(!)と堂々と当たり前のように言ってしまう教育関係者。80年代前半って、バブルの来るちょっと前で、日本企業が沢山ヨーロッパに進出していた時代だったけれど、人々のマインドは追いついておらず国際的でないどころか、かなり閉鎖的な時代でもあったのだ。

もしかしたら私が「ハーフ」のテーマにかなりこだわるのもそういった時代背景をギリギリまだ体験しているからなのかもしれませんね。その悔しさを思い出すと絶対に「ハーフの活動」はやめられない!なんて思うほど(笑)

当時の時代背景もあるし、個人的には誰が悪いというわけではないとは思うのだが、少しずつ国際化していってめでたしめでたし、なんて思っている。

                                            サンドラ・ヘフェリン

コメント

  • 若干論点とずれるけど、私は日本語補習校に通えたハーフたちがうらやましいよ☆うちの地元から一番近い補習校はStuttgartだったからね…1日体験入学したけど、毎週土曜日に一時間半車で移動は車酔いの私には無理だった・親も疲れる、という事が分かってすぐ断念w漫画とか小説を買い与えられなかったら絶対「日本語を忘れたハーフ」になってたと思う。ヽ(´・ω・`)ノ

    5:27 PM 理紗
    • 理紗ちゃん
      いやいや、日本語補習校に通わず、漫画と小説で日本語を覚えたキミはすばらしいよ・・・。
      (理紗ちゃんは日本語補習校に行ってたと思ってたからビックリ。)
      日本語補習校に行っていても、日本語あまりできないハーフもいるし、色々なんだね★サンドラ★

      6:41 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 現在のように国際化が進んだ時代では、純日本人でもハーフでも、正確な言語ツールを複数持てるかどうかが、鍵であると考えます。純日本人でも、日本語と英語でコミュニケーションとれること、それもJaplishではなく、Native Englishを使えること(発音、Phrasl verbs etc.)に重点が置かれ始めています。もし、ハーフの場合でも、日本語とnative languageを二つ使いこなせることが重要になりつつあります。もはや、依然容姿の点に、関心を寄せているのは、あまり教育水準の高くないひとに多い気がします。
    これは、私見ですが、今後世界中に、サンドラさんのように、複数言語を操れ、かつ文化的にも複数の文化圏のことを知っている知的な人々がもっと増えてくると思われます。それに、備えて純日本人の私は、今日も語学と文化の勉強に時間を費やしています。

    6:08 PM 横山稔
    • 横山稔さん
      おっしゃるとおり、ほんとうはハーフか否か関係なく、みんなが英語も含め複数の言語でコミュニケーションをとる努力をし、そして世界中の色んな文化に興味を持てたらいいんですけどね。徐々にそうなってきている部分もありますが、いつかそれが主流となるのかもしれません★サンドラ★

      6:54 PM サンドラ・ヘフェリン
  •  男女の縁(えにし)はどこでどうなることやら、まさに神のみぞ知るです。今よりも不便だった70年代に誕生されたサンドラさんは、 21世紀のハイブリットな人たちよりも少しばかり価値ある存在ではないかとわたしは思います。
     生物が雌雄異体となった理由は、多様性を得るためだと考えられています。ここに集う多くの方は、障害とも呼べるような恋愛に不利なさまざまな条件を克服されて、めでたく誕生した命です。
    わたしは洋の東西を問わずお子様は全て、「純愛の産物」であって欲しいと願っています。便利な世の中になり、感覚的にも地球はずいぶん小さくなりましたね。国際結婚も「文化の違い」と背中にヨイショと背負わなくても、「生活習慣の違い」くらいで済んでしまう時代なのかもしれません。
    間もなく世界の人口は70億人に達するそうです。良い人悪い人という評価軸は確かにありますが、つれあいを見つける基準は合うか合わないかでしょ。
     どちら様も五感を研ぎ澄まして自分の欠けている部分を補ってくれる余人をもって代えがたいパートナーをみつけましょうね。

    11:41 PM asariya38
    • asariya38さん
      なんだか恋愛の話になってますね(笑)
      でもほんとうに「異文化」「外国語」というとハードルが高いように多くの人が思いがちだけど、そのハードルをぐんと下げて、身近なこととして感じる人が増えれば、私が上のコラムに書いたような閉鎖的な感覚もなくなるのではないか・・・と期待しています★サンドラ★

      7:16 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 今は普通に近所歩くだけで(都会だからかもしれないが)ハーフの子供を見るし、保育園や学校でも、ハーフ一人しかいない、なんてことはあまりない時代になってきました。
    娘の保育園にも、娘のほかにハーフ2人います。去年までは外国人の子供も2人いました。ハーフの子供や、ハーフの子供を持つ親と出会うことももう珍しくない時代。
    昔は確かにハーフ=外国人という印象、ありました。父親が日本人でないと日本国籍が取れないと聞いた時代もあったな~。
    今はさすがに法律も変わったので、うちの娘も日本国籍取れました。
    それと同時に、昔と違って語学をしっかりできて、違う文化も理解していないといけない時代になったな、と感じます。うちの娘には中途半端に語学を吸収してほしくないし、中心言語はしっかり持ってほしい。違う文化にも寛容であってほしいです。
    私の場合は海外にいても日本人であり続けることを強要されましたが、日本の文化や習慣(特に企業文化)が理解できないヘンな日本人です。
    娘の場合は無理をして日本人でいるのではなく、ハーフ=素晴らしい、と思ってほしいです。日本の文化もちゃんと理解してほしいし、他の文化も理解してほしいです。

    7:02 AM Jannat
    • Jannatさん
      そうなんですよね。父親が日本人でないと、日本国籍が取れない時代、ありました!母親が日本人ではダメ、という。過去の事とはいえ、とんでもない法律です。
      Jannatさんの書いている事を読んでいると、キーワードは「寛容さ」にあるのではないかと思います。そしてこの「寛容さ」は簡単な事のようで、実は本人に経験と信念がないと中々人間「寛容」にはなれない、という事実もあるんですよね。なぜなら未知たるものに触れる事で不安を覚える人もいるから、それも理由となって「我々だけで・・・」とか「日本人(←ここでいう日本人にハーフは含まれていない)だけでやろう」という発想になるんですよね。ただ、こういう事は状況は多少ちがえど例えばドイツにもありますし、日本に限った問題ではないと思います★サンドラ★

      7:22 PM サンドラ・ヘフェリン
  • よくわかるわ…私、サンドラより年上だから(笑)メールもネットもなかっただけじゃなく、国境を越えて移動する仲間の存在も見つけにくかったし…当時はもう、友達と離れたら、コミュニケーションは「文通」だけだよ~~ナポレオンの時代よりはマシだろうけどさ、手紙って、なんて優雅なのっ!って感じ…細かい話を何気なく話すことができなくて、周囲が全部「私と違う人」ばかりの環境になったとき、どんなに孤独だったか…特別視もされたし…テレビだけは普及していたけど、それは却ってハーフやバイリンガル、帰国子女には妙なステレオタイプのイメージを今よりもっと横行させてた気がする。ミックスバックグラウンドの人に限らず、何かしらマイノリティである人には、メールやネットの存在は大きいよね。Twitterなんかも一歩間違うと面倒なんだけど、今の世の中で多様性の存在に気付くにはすごく便利なツールだと思う。自分がもうすっかり大人になってから出てきたツールだけど、それでも生きてるうちにこういうものに巡り合えてよかったな~と思うよ、私は(笑)大人になってたって、ネットを通じて仲間ができてだいぶ救われたのは確かだからね。

    10:35 AM N☆
    • N☆さん
      私も生きてるうちに、メールとインターネットの時代を体験できてよかった!笑
      文通や手紙を書くのって、メールより書き方ももっとフォーマルだし、気軽さがないのは確かですよね。でも語学の面で言うと、私は文通のおかげで漢字が書けるようになりました(笑)時代とともに、ハーフを含むマイノリティーが疎外感を感じずに済む流れになるといいですね★サンドラ★

      11:54 AM サンドラ・ヘフェリン
  • なぜここまで「ハーフ」にこだわるのだろう、
    マイノリティーであるという意識がマイノリティー
    を生むのではないかと思っていたのですが
    サンドラさんの活動にはそういった背景があったのか
    とこの記事を読ませていただき妙に納得しました。

    私自身も現在進行形でドイツ育ちの日独ハーフなのですが、
    私の周りにはいわゆる”Migrationshintergrund”のある
    者が沢山いるので、自分からそう意識せずことを細分化
    しない限り、自分は少数派にはらないと思っています。
    むしろ「自分だけハーフだから○○」という考えは傲慢では
    とまで(笑)

    こう思えるのも「時代」の影響でしょうか。
    だとしたらいい時代になったものですね(笑)

    12:21 AM ゆとり世代

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