日独ハーフは楽しさ2倍!(日独ハーフの視点1)

2009.10.14
こんにちは! サンドラです。私は日独ハーフなのですが、そのせいか「ハーフ」というテーマについて日々いろんなことを考えます。ということで、この連載では「ハーフ」をテーマに書きますので、皆さんどうぞお付き合いください。ハーフで困ったことなど、ゆくゆくはちょっとシビアな面についても書いてみようと思いますが、まずは明るいテーマから。そう、「ハーフで良かったな」と思うことについてです。

私がハーフで良かったなと思うのは、楽しい事がダブルになること。

自分は子供の頃から喜びが倍になることが多くてラッキーだったなって。たとえば友達。小さい時からドイツ人の友達と日本人の友達が両方いた。日本の友達とは「だるまさんが転んだ」をして遊び、ドイツ人の友達とは「Ochs am Berg」をして遊んだ。ルールは両方とも同じなんですよ。

そして毎年、誕生日パーティーも2回お祝いしてもらった。1回は日本人の友達を呼んでのバースデーパーティー。そしてもう1回はドイツ人の友達を集めてのバースデーパーティー。お誕生日を2回お祝いしてもらえたり、七夕とかの日本のイベントと復活祭などのドイツのイベントを同時に体験できたのはラッキーだったと思ってる。常に楽しみが2つある感じで。

あとは、小さな頃からドイツのご飯と日本のご飯と美味しいものが両方食べられたのもラッキー! って思います。誰ですか、ドイツ料理はマズイ!とか言ってるのは?!

ハーフの悲しい事や大変な事、悔しい事に関しては(後々くわーしく書きますが)、アイデンティティーが云々とか色々と複雑な気持ちになったりするのに「楽しい事」って単純なんですね。「だるまさんが転んだ」が楽しかったなとか、ご飯が美味しかったなとか。

なんだか例が単純になってしまいましたが、言い換えれば、「大人」になってから初めて異文化に接するのではなく、小さい時から異文化を異文化ととらえずかかわってきた分、自然にスンナリ入っていけた部分がある。そういうところに感謝してるかな。

あと、恵まれていると感じるのは、色々問題はあるにせよ、母国が2つあること。どちらの国も祖国であり母国。私は自分はドイツ人でもあり、日本人でもある、と思っている。そして「自分が今、何人(ナニジン)なのか?」という意識やその比率はその時その時の人生の通過点、その時その時の気分によって変わる。

私はドイツで育ったのだけれど、ある時は「私は80%ドイツ人で残り20%が日本人かな」と思うし、日本に長く住んで、食べ物の好みも思考回路も日本的になってくると、「今はフィフティ・フィフティぐらいになってるかな」なんて思ったりするし。これはこれで「自分は今どっち?」、「今は何人(ナニジン)の気分?」なんて考えるのが楽しかったりするんだ。

よく「二足の草鞋」というけれど、ハーフの場合は2足の草鞋が自然なのかもしれない。持って生まれた運命というか。私は好きだな、この「二足の草鞋」。諺で言う「二足の草鞋」は、2つの事を同時進行で進めていくと、どちらも中途半端になる、という意味で、ネガティブな意味あいで使われているけれど、この「中途半端」=「二足の草鞋」を有効活用(?)して、堂々と2足の草鞋を履けるのがハーフだと思う。少なくとも私には心のバランスを保つために「二足の草鞋」が必要。どちらの国に住んでいても、もう片方の国と接点は持っていたいし、そうすることによって初めて自分の中のバランスがとれるという。

私の場合、そんな気持ちが持ち物にもあらわれる。私がよくとる奇妙な行動。それは、同じデザインと色の小物を2つ買ってしまうこと。このあいだも、蝶のついた黒いバッグを2つ買った。ドイツの実家に1つ、そしてもう1つ同じものが今住んでいる日本の家に置いてある。そうすると安心する。それは「同時にどっちの国にもいたい」という強い願望のあらわれ。

人生を倍楽しむためにたまに私が巡らす妄想は「体が2つあればいいな~」ということです。精神は1つで体が2つほしい。そうしたら、1人の私は日本にいながら、もう1人の私はドイツで人生を歩むのです。あ~、想像しただけで楽しい。ドイツと日本をパッパっと行き来したいから、ドラえもんの「どこでもドアー」がほしかったけど、こういう「体入れ替え機能」も発明してほしいな。

                                             サンドラ・ヘフェリン

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