風刺画に見る文化の衝突

2015.1.18

フランスはパリの新聞社襲撃事件から10日あまり。

 

テロが悪いのはもちろんですが、ここ数日間で「風刺画」と「文化」について改めて考えさせられました。

 

17名が犠牲になったテロ事件の後も、フランスのシャルリー・エブド紙が風刺画の掲載を続ける一方で、日本の新聞は朝日新聞、毎日新聞、読売新聞が風刺画の掲載を見送り、日経新聞、産経新聞、東京新聞は掲載をする、というふうに国内でも対応が分かれました。

 

風刺画に関しては、実は私サンドラが育ったドイツもフランス同様に風刺画が大変盛んで、新聞を広げれば政治家や旬な事件に関する風刺画が描かれています。風刺画はドイツやフランスにおいてはかなりの伝統があり、その歴史も長いことから、風刺画はヨーロッパの社会では「文化」となっているのですね。昔から。

 

でも。強く思うのは風刺画とは「あくまでもヨーロッパの文化」である、ということ。つまりは「風刺画は文化」というのはあくまでもヨーロッパ的な考え方なのですね。そのあたりを意識する必要はあるかと思います。

 

「昔から」フランスやドイツでは風刺画が盛んであり、風刺画を描かれた人間が怒り狂うのはみっともないこと、ユーモアがないこと、とされていました。ただし忘れてはならないのは、繰り返しになりますが、風刺画はあくまでもヨーロッパの文化であるということ。

 

イスラム世界や日本では風刺画という文化は、実質的にはないに等しいです。

 

そんな、日頃から風刺画に慣れておらず、風刺画にあまり縁のない人たち(イスラム教徒の人々)が、自分たちの信じる宗教を、風刺画によって面白おかしく茶化されたら、深く傷つく、というのもよく理解できるのです。(だからといって過激派がテロを起こすのは論外ですが。)

 

そう、風刺画はヨーロッパの文化ではあるけれど、ヨーロッパの文化だからといって、そういった風刺画の文化がない文化圏の人々(イスラム教徒の人々)を果たしてそれに巻き込んでいいのか、という話に最終的にはなってきますよね。

 

ちなみに、東日本大震災の原発事故の際にも、同紙シャルリー・エブドは3本足の日本人力士の風刺画を掲載し、日本人を傷つけた過去があります。

 

今回の風刺画問題を考えるとき・・・「自分たちにとっての文化」が果たして「相手にとっては受け入れられる文化なのかどうか」というのが論点になってくるかと思います。

 

ひとつ、個人的に思うのは、風刺画も含む「冗談」って、「そこそこ仲が良い」「そこそこ関係が良い」からこそ成り立つ部分もあると思うのです。

 

そう、変な例で恐縮ですが、相手に「おい!おまえ、さいきん腹が出てるな~^^」と冗談交じりに言えるのは、相手との関係が良いからです。

 

親しくもない相手、または日頃から上から目線で接している相手に、そういう言葉(「おい、おまえ、さいきん腹が出ているじゃないか」)を投げかけたら、いつ、何の拍子に言われたほうが爆発するか分かりません。

 

欧州にいるイスラム教徒の場合、現地や欧州文化に上手く溶け込んでいる人もいますが、現地の欧州人に「君達は完全に俺らの仲間!」だとは思われていない状況がまだまだあるのも事実なのです。

 

欧州のイスラム教徒は現地で差別的な扱いを受けたり、失業者の数が多かったりと、恵まれているとは言い難い環境におかれている人も多くいます。そんな中で、面白おかしく(自分たちの信仰を)風刺画で茶化されたら・・・テロがよくないのはもちろんですが、良い結果にならないのは目に見えていますよね。

 

日本人は、外国人と接するとき、よく相手の文化を褒めますよね。相手の文化、相手の国を褒める。よく考えたら、これは非常に大事なことではないかと。相手の所属する文化や国、相手が敬愛する文化や国は、どんなに褒めても褒め過ぎになることなどないのではないかと思います。

 

さて、最後になりましたが私も「自由」とくに「表現の自由」は大好きですが(というか、ないと困る)、今回の風刺画の件について、日本の主要な新聞(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞)が風刺画の掲載を見送ったこと、またテレビ番組のコメンテーターも様々な意見(「自由は素晴らしい」という意見もあれば、人を傷つけることについてもっと慎重に考えたほうが良い、という意見も多数あります)を述べているところに「日本らしさ」を感じました。それとともに、日本のこのスタンスは素晴らしいなと思いました。

 

みなさんは、どう思われますでしょうか?

 

よろしければ、ご意見書いていってくださいね。

 

サンドラ・ヘフェリン

 

コメント

  • 「なるほどー!」と思ったコラムでした。
    ずっと前からヨーロッパのストレートな表現には驚きと羨望がありました。日本は何事も「波風立てず、やんわりと」が良しとされてますから。
     ツイッターにも載せましたが、今回のことはフランス人にも反省してほしいと思います。自分達の「自由」に対する考え方が引き起こしたものだと思います。もし他の国がフランス人を小ばかにした画を描いたら、きっと抗議するでしょうし。
    銃撃を起こした犯人はよくないと思いますが、かといってフランス人の味方をする気にもなれないと思う出来事でした。

    10:11 PM さなえ
    • さなえさん、

      コメントありがとうございます!

      「自由」を、たとえ他人を傷つけても追求するか、それとも他人を傷つけないことを重要視し、さなえさんも書かれていますが日本風の「波風立てず、やんわりと」を重要視するか、ですよね。まったくもってむずかしい問題です。★サンドラ★

      5:04 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 欧米人、つまり白人キリスト教徒の考えは、エスノセントリズム(中華思想)かつダブルスタンダードだと思います。
    そのことを論ずる前に、日本における風刺漫画ですが、最近はあまり見ませんが(私が知らないだけで、今もあるのかも知れませんが)、かつては、新聞の夕刊などに、世相を批判するような一コママンガがあったものです。現在では、週刊誌や月刊誌における(リベラル系の)やくみつる氏や(保守系の)業田義家氏などの四コママンガが、その役割を果たしていると思います。但し、欧米の風刺マンガの毒の強さ、辛口さ加減に比べれば、毒が極めて薄いというか非常に甘口だと思います。日本人の一人として、私には、この程度のぬるい風刺でも充分すぎるという気がしますが、欧米基準から見れば、風刺のうちに入らないでしょうから、「日本には欧米のような風刺マンガの文化は存在しない」というご意見には一理あると思います。
    本題に入ります。
    今回のテロ事件における「表現の自由は絶対に守らねばならない」というスローガンには、「胡散臭さ」を感じます。
    今回のテロの引き金になったムハンマドの絵を、私は直接見ていませんが、現地で見た人からの伝聞では、「表現の自由の域を超えている」そうです。具体的には、そもそも、偶像崇拝を禁じるイスラム教徒にとって、ムハンマドを、たとえ後ろ姿で描くことでも不敬なのに、問題の絵は、裸のムハンマドが四つん這いになっていて、男性器の先から精液を滴らせていて、肛門も丸見えだそうです。
    ここまでの下品な表現さえも「表現の自由」の名のもとに守るべきなのでしょうか?私には、そうは思えません。
    過去のシャルリエブド紙の「作品」ではローマ法王も批判の対象になっているのだからイスラム教徒を批判することも許される、との主張だそうですが、ローマ法王は、ここまで侮蔑的には描かれていないそうです。また、これはアメリカの田舎町のニュースですが、イエス・キリストを侮辱する絵だか彫刻だかを作った少年が逮捕されたとの記事も見かけました。この少年の「表現の自由」は守ってもらえないのでしょうか?ということは、欧米の基準は、イスラム教徒に対して公平さを欠いていることになります。ここに、白人キリスト教徒のエスノセントリズムを感じます。
    次に、ダブルスタンダードを感じるのは、テロ賛美、ナチ賛美、反ユダヤの発言が禁じられていることです。
    つい数日前、フランスでテロを賛美した漫画家が逮捕されたそうですが、「表現の自由は絶対に守られるべきだ」というのであれば、テロを賛美する自由もあるはずです。あれだけ「表現の自由」と叫んでおいて、テロ賛美は逮捕とは、筋が通りません。
    ナチの賛美や反ユダヤの場合は、フランスでもドイツでも法律で禁じられているそうですが、これらの法律は「表現の自由を侵害するがゆえに無効」にはならないのでしょうか?
    フランスではどうか知りませんが、ドイツでは「我が闘争」は発禁で、図書館でも研究者以外閲覧禁止だそうですが、故アドルフ・ヒトラー氏の「表現の自由」(及び、現代のドイツ国民の「知る権利」)は守ってもらえないのでしょうか?
    最後に、過去にも何度も書いた話題を再び出して恐縮ですが、「ドイツの歌」の一番をドイツ国内でおおやけの場で歌うと法律違反になるというのも、「表現の自由は絶対に守らねばならない」という思想に明白に違反しています。
    あの歌の一番は「ドイツは世界で一番の国」という主旨ですが、そもそも国歌とはそういうものです。それぞれの国が、お国自慢をうたうものだからです。
    大洋の真ん中の絶海の孤島の極小国であろうが、大平原の真只中の極小国であろうが、険しい山脈の奥の極小国であろうが、「自分たちの国は世界一」と歌うのは彼らの勝手です。そういう村のような国の国歌の歌詞の通りに本当に世界一なのは、景色や国民(せいぜい百人?)の団結力ぐらいのもので、産業・学問・芸術・スポーツなどが世界一とは到底思えませんが、それでも、そういう国々の人は、堂々と「我々は世界一」と歌うでしょうし、誰にもそれを止める権利は無いはずです。
    それが、ドイツだけは、人口百人未満の吹けば飛ぶような国にも許される「お国自慢」が許されない、というか、自分たちで禁じている。これこそ「表現の自由の侵害」でなくて何なのでしょうか?
    オランド大統領と腕を組んで行進していたメルケル首相の顔を見ていたら、「ダブルスタンダード」という言葉が浮かんできました。
    「表現の自由は無制限に許容されるものでは無く、世の中には言って良いことと悪いことがある」が故にテロ賛美やナチ賛美や反ユダヤは禁じられなければならない、というのであれば、イスラム教への風刺にも、「節度」という名の制限が行われるべきだと考えます。
    私は、たまたま、シャルリエブド紙を支持するメッセージを書くノートが置かれているフランス政府の出先機関の近くに住んでいます。先日も、このノートの前を通りましたが、上記のような「胡散臭さ」を感じ、書くのを止めました。周りに立っていた日本人に向かって、私が自説を開陳すると、多くの日本人が同意してくれました。

    6:53 AM terre12756
    • terre12756さん、
       
      さっそくコメントをいただき、ありがとうございます。
       
      そうですね、モハメドの描写はterre12756さんも書かれている通り、かなりえげつないものであった、というのは問題ですよね。そして、おっしゃるように、「自国の国の人や自国の宗教を対象にした風刺画」の場合、同じ「からかい」であっても、あんなえげつない描き方はしていない、というのも同感です。
       
      本件について日本の雑誌の色んな記事を読んでいますが、日本の新聞社に関しては何を基準に「載せる・載せない」と決めているかというと、「本人の前でそれを言えるか・書けるか・描けるか」ということが一つの規準になっているそうです。なるほど、と思いました。確かに、たとえばシャルリー・エブドに掲載されていた三本足の力士(放射能汚染の結果として描かれていた)は、「日本人の力士」の前でこういう絵が描けるかと言われたら、ほとんどの人が描けないわけですよね。ですから、たとえばこういう風刺画は日本の新聞は載せないとのことです。
       
      ただ「本人の前で言えるか・書けるか・描けるか」という判断基準、非常に人間的で私は好きなのですが、おそらく多くのフランス人からは「そんな事を気にしていては、自由を体現できない!」と言われてしまうこともまた事実ですよね。ほんとうに難しい問題です★サンドラ★

      5:05 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 風刺画の意義について、再考の必要があると思います。

    私がこれまで見てきた風刺画で印象的だったのは歴史教科書に載っているものでした(教科書や掲載された風刺画の取捨選択自体の問題はここでは触れません。)。

    それらの大半は時の政府に挑戦(批判、否定、改善要求など)する記事を載せたり、意見を発表すれば、その発表者や関係者が様々な危険に晒される虞があったけれども、虐げられてる人を守るために、発表者やその関係者に被害が出ないギリギリのラインで書かれたものと理解しました。そうだからこそ、何年経っても、それら風刺画の価値が薄れないのだと思います。

    他方で、風刺される側の人権、風刺画を見る人たちのの感受性も考慮しなければなりません。それを考慮しない一方的な主張の風刺画はワガママや悪口と同視し得ると思います。

    私にとっての風刺画とは抵抗が難しい人を救うためのものであり、風刺される人や対象物を必要以上に侮蔑した表現をしない表現物と考えます。

    先に述べた「価値」の基準は様々です。それはヘイトスピーチを見てもそうです。

    今回問題となった風刺画は現実の悲劇を隠れ蓑にした悪意を込めたコメディと考えます。この風刺画が発端となったテロ(テロの端緒が欲しかったかも知れませんが)のせいで、何の関係もないイスラムの方々が厳しい立場に立たされることをいかに回避するかが、今考えるべきことと思います。

    十ぱ一絡げにイスラムの方々を敵視するのでは、大戦から何を学んだのか危ぶまれます。

    2:59 PM あすか
    • あすかさん、

      興味深いコメントをありがとうございます!

      >この風刺画が発端となったテロ(テロの端緒が欲しかったかも知れませんが)のせいで、何の関係もないイスラムの方々が厳しい立場に立たされることをいかに回避するかが、今考えるべきことと思います。

      ↑同感です。当たり前ですがテロとは何の関係もないイスラム教徒も多いのに、今回の件で、「あの人達は・・・」とテロリストといしょくたにされてしまっているケースも目立ちますよね。

      話がちょっと変わりますが、昨日どなたかがテレビ(サンデーモーニングだったかと思います)で、「他人を傷つけないこと」をメディアが重要視し過ぎると、同調圧力によって何も言えなくなる、そういった事態も心配、ということを話していて、このことについても非常に考えさせられました。★サンドラ★

      5:13 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 欧米の、特にフランスの表現の自由(や政教分離)は、革命で勝ち取った権利なので、原理主義みたいに文化に染み付いてますね(人間関係がウェットな文化の多いアジアでは自由の元なんでも言えるというのが通じない文化が多いみたい)。

    フランス的表現の自由とイスラム原理主義はお互い分かり合えないので、平行線を辿る運命の宗教戦争みたいですね、これ以上犠牲者がでなければ良いのですが。

    6:29 PM simon
    • simonさん、
       
      たしかにアジアのほうが人間関係がウエットだから人を傷つけないことがまず優先で、欧州のような「自由が一番!言論の自由が一番!」とはならないのでしょうね。
       
      イスラム国で日本人が二名人質にとられたばかりだし、過激派の勢いを増していて心配ですね。。★サンドラ★

      4:39 PM サンドラ・ヘフェリン
  • サンドラさん、

    ありがとうございます。

    私はイスラム教徒ですが今回の事件で、日本の文化の素晴らしさを改めて実感しました。西洋のメディアが言論の自由ばかりに焦点を当てている中、日本の報道では、行き過ぎた言論の自由もいかがなものか?と冷静に考える声を聞きその姿勢に賛同しました。
    テロは言うまでもない、絶対にいけないことです。イスラム教の教えにも反しています。
    西洋ではジュネーヴ条約が出来るはるか1400年前にイスラム教の教えでは:
    戦争中に次のようなことを禁じています:

    子供や女性や老人の殺害、木の伐採、川を汚染すること、戦っている相手でさえも逃げたら殺すことを禁じています。自殺も禁じていますから、自爆テロという行為は特に理解できません。
    テロは人類に対する犯罪であり、その撲滅をまざして世界中が力を合わせる必要があると思います。
    相手を挑発したり、対立を煽ったりするのは何の解決にもならないです。

    8:08 PM マンスール  ジャーニュ
    • マンスール ジャーニュさん、
       
      コメントありがとうございます!イスラム教徒からのコメントは大変興味深いです!
       
      フランスはこれからどういう道をたどっていくのか気になります。なんとか平行線の状態を抜け出して良い意味での進展があるといいのですが。
       
      それにしても文化の違いに「怒り」が加わるとこんな大変な結果になってしまうのですね。異なる文化圏の人同士が交流することは今後はどこの国でも避けられないことなので、「自分とは違う人の気持ち」に関する配慮も必要ですよね★サンドラ★

      4:41 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 旦那さんと議論して、やっとまとまりつつあります。
    今回の風刺画問題、テロ問題ですが、terre12756さんが書いていたように、風刺画のえげつなさもそうですが、それ以前に「ムスリム達は外国人だし、フランス語は分からないから、どうせ見たって分からないじゃん」みたいな上から目線な態度?をかなり感じます。ムスリムの中にもフランス生まれ、フランス育ちで、フランス国籍を持つ人達もいて、彼らもフランス人なんだ、という認識がなさすぎるのでは?と思ってしまいました。
    または、「フランス人なら俺達の文化も理解しろよ。ちょっとからかっただけじゃないか」と、これまた上から目線で、ムスリム文化を理解しようとしない姿勢が透けて見えてしまいました。
    「表現の自由」というのは、「自分達が書きたいことをこれでもか!というくらい、好きに書いていい。それを批判したり怒ったりするなんてバカ」という、自分達の文化を一方的に押しつける姿勢ではいけないと思います。

    9:08 PM Jannat
    • Jannatさん、
       
      いつもながらの興味深いコメントありがとうございます。
       
      Jannatさんが書いていたこと、よくわかります。加えて、「昔」であれば、新聞の風刺画は本当にローカルで「地元」(その国の人)だけで読まれていましたよね(ネットもないし)。大昔のフランスやドイツには自分たちと違う価値観を持つ外国人は今のように沢山はいませんでした。ですので風刺画も許されてきた感がありますが、今やフランスにもどこのヨーロッパの国にも「違う価値観」「違う文化圏」の人は沢山いるわけですし、ネットだってあるので、情報はすぐに広まりますよね。そんな中で、他の文化圏や他の宗教の人をバカにする、ということをやってしまった(風刺画を描いてしまった)っていうのは大きいですよね。。。★サンドラ★

      4:52 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 事件から時間が経過してドイツ国内でも諷刺画については賛否両論になってきました。発生当初は「言論の自由」を主張していた人達も「やはり人の気持ちを傷つけたり特定の文化、特に社会的弱者を標的にするのは良くない」という意見も沢山出てきており私も個人的にホッとしているところです。ネットやソーシャルメディアを介して情報が瞬時に世界中に広がる時代に「ヨーロッパの文化」という理由だけでしかもジャーナリストとして発信するのがいかに危険で身勝手な行為かという事を今回は感じました。

    12:50 AM エンテ
    • エンテさん、
       
      コメントありがとうございます!
       
      ドイツでもそういう意見(他の宗教の人や他の文化圏の人が大切にしているものを、からかって侮辱するのは問題だという意見)が出てきてホッとしますよね。おおまかな印象として、カトリック教会を対象にした風刺画もありますが、そこまでえげつないのはあまり見たことないですし。やっぱり身内に甘く、(自分達とは関係ないとしている)他人に対してえげつない描写をしていじめるのはなんとも理不尽ですね。テロがいけないのはもちろんですが。★サンドラ★

      4:38 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 感情論になってしまいますが、タブー破りを出来るだけ避け、政治の風刺さえNGな文化しか知らない人が、それが日常茶飯事である西欧の風刺画の「許される」範囲をどうこう言うのはちょっと‥、と思ってしまうのが本音です。もちろん、批判はこの先のことを考えるためには大事で、個人的にはCharlie Hebdoのやり方は正しかったとは思えません。ネット普及とグローバル化で身内ネタが外へ伝わり、今回のような事件を生み出してしまう時代なので表現の自由を見直す必要性はきっとあるでしょう。

    しかし、全世界の表現の自由を規制する国際条約はありません。基本的に表現の自由の「やり過ぎ」を誰が決めるかというと、それは内政不干渉の原則で国内の問題であり、ドイツなら最終的には憲法裁判所です。それに不服があるのなら欧州人権裁判所も一言いうかもしれません。問題の風刺画がヘイトスピーチに当たるものだと思えば民衆扇動罪で公訴できます。決めるのは結局、「身内」なのです。その身内の意識が変わらない限り、身内にとっての「外部」である国外の当事者が色々騒ぎフランス国旗を燃やしテロ事件を起こしてもむしろ逆にこじれる気がします。(今回の事件の容疑者はフランス人でしたが、二人の壮絶な子ども時代とムスリムだった警察官を射殺した事実を配慮すると事件の根本的な問題はモハメドの風刺画ではなく、フランス社会に見捨てられたことだったのではないか、宗教を言い訳にして社会に復讐したかったのではないか、と考えています。)
    Charlie Hebdoの法王関連の記事で訴訟を起こしたとあるカトリック団体が敗訴したことを考えると、西欧の人はもはや「信仰心が傷つけられた」という理屈はあまり理解できなくなっているんだと思います。70年代に上映されたモンティパイソンの映画「ライフ・オブ・ブライアン」は当時ものすごく批判されましたが、今なら私も含めて笑い飛ばすぐらい受け入れられている作品です。宗教風刺はある程度定着してきてしまったコンテンツであり、モハメドの風刺画はもしかしたら人を傷つけているのではないか?という議論がそもそも成り立たなかったのは、そのような背景があるからではないでしょうか。

    5:06 PM rika
    • rikaさん、
       
      コメントありがとうございます。レスが遅れてすみません。
       
      >感情論になってしまいますが、タブー破りを出来るだけ避け、政治の風刺さえNGな文化しか知らない人が、それが日常茶飯事である西欧の風刺画の「許される」範囲をどうこう言うのはちょっと‥、と思ってしまうのが本音です。もちろん、批判はこの先のことを考えるためには大事で、個人的にはCharlie Hebdoのやり方は正しかったとは思えません。ネット普及とグローバル化で身内ネタが外へ伝わり、今回のような事件を生み出してしまう時代なので表現の自由を見直す必要性はきっとあるでしょう。
       
      ↑こちらですが、ヨーロッパのおそらく多くの人がrikaさんのような意見だと思います。ヨーロッパの人の意見を代弁しているとも言えるでしょう。私もそういう環境(ヨーロッパ)で育ちましたから、理解できます。
       
      そして、実質的な問題として、
       
      >しかし、全世界の表現の自由を規制する国際条約はありません。基本的に表現の自由の「やり過ぎ」を誰が決めるかというと、それは内政不干渉の原則で国内の問題であり、ドイツなら最終的には憲法裁判所です。それに不服があるのなら欧州人権裁判所も一言いうかもしれません。問題の風刺画がヘイトスピーチに当たるものだと思えば民衆扇動罪で公訴できます。決めるのは結局、「身内」なのです。その身内の意識が変わらない限り、身内にとっての「外部」である国外の当事者が色々騒ぎフランス国旗を燃やしテロ事件を起こしてもむしろ逆にこじれる気がします。
       
      ↑というのも、現実問題たしかにそうなんですよね。
       
      >今回の事件の容疑者はフランス人でしたが、二人の壮絶な子ども時代とムスリムだった警察官を射殺した事実を配慮すると事件の根本的な問題はモハメドの風刺画ではなく、フランス社会に見捨てられたことだったのではないか、宗教を言い訳にして社会に復讐したかったのではないか、と考えています。
       
      ↑同感です。あのテロリスト兄弟はコーランを正しく解釈していないし、Erikaさんも書いているように、日頃の(子供時代からの)うっぷんがたくさんたまっていたように私も思います。ただし、この「うっぷん」は彼らだけのせいかというと難しいところ。テロはよくないけれど、ああいう兄弟(彼らはフランスの施設育ちで恵まれない環境で育っている)を生み出してしまう土俵がフランス(の一部)にあるのが問題ですよね。フランスに限らずヨーロッパの多くの国に言えることですけど。イスラム教徒に差別的な雰囲気が漂うなか、親のいない施設育ちのこの兄弟に対して、子供のころから世間の風当たりが強かったのは想像できますね。こんな形(テロ)でそれを爆発させるのは許されないことですけどね。★サンドラ★

      4:37 PM サンドラ・ヘフェリン
  • まあ、今西洋がやるべきことなのは、「表現の自由を尊重しないので、もっと過激な風刺で抵抗する」ではなくて、「表現の自由の理想、なぜ表現の自由が必要なのか」を他の文化に「啓蒙」することですね。表現の自由なんて言ったかって、非西洋の文化(日本も含む)から見ると、「侮辱している」としか見られない。西洋人は、表現の自由や人権などの概念や理想は、永遠普遍的でどこにでも通用すると思っているが、実は西洋以外ではまだ当たり前のようには受け入れられない(あくまでも西洋ではそこまで活発に議論され続けられてきた結果である)。一般の西洋人にはそこがまだわかっていないと思う。表現の自由や人権を守らない人達は「悪」だ、と安易に解釈しがちだが、もちろん相手側はそもそもそんな概念をまだ認識しているわけではないし、例えばイスラームの人達にも彼らなりの「正義」がある。イスラームの人達は表現の自由をどう言った理由であれ守ると言うより、ムハンマドやアッラーを守ることが「正義」だと感じているのかもしれない。

    12:04 AM SC
    • SCさん、
       
      コメントいただきありがとうございます☆
       
      SCさんの書かれていた
       
      >今西洋がやるべきことなのは、「表現の自由を尊重しないので、もっと過激な風刺で抵抗する」ではなくて
       
      ↑の部分、同感です。テロに屈しないという意味も込めてシャルリー・エブドはテロ後も風刺画を掲載しましたが、もしこれが啓蒙の意味も含んでいるのだとしたら、こういうやり方での啓蒙が果たして良い結果を招くのかということを考えた時、微妙ですよね。かといって、廃刊とかそういう対応の仕方も「テロに屈した」ことになりますし、なかなか難しいですね。異なる文化圏の人達とどう折り合いをつけていくのかが欧州では今問われていますね。
       
      さて、上のほうのコメント欄にも何回か出てきましたが、辛辣な風刺画といえども「自分達には甘い描き方」というのは感じますね。今もたまにありますが、80年代、日本がバブルだった頃は、ドイツではよく目がビーッと細く、ペコペコしている日本人の風刺画がドイツの新聞や雑誌に載っていました。東洋人である日本人の目の描き方もかなりバカにしていましたし、当然そういう風刺画を見て、「アジア人(日本人の細い目)をバカにしていいんだ」という雰囲気もドイツの社会にはありましたし、一部に今もあります。前に、「イジメ・ドイツ版(チン・チャン・チョーン!)」というコラムを書かせていただきましたが、ドイツを含む欧州でこういうイジメが子供達の間で流行るのも風刺画と全く無関係ではないと思います。もっとも「チンチャンチョン」に関しては、風刺画という文化のないエリアでも流行っていますから風刺画だけが原因とも言えないのかもしれないですけど。
       
      私が子供のころ、一番腹が立ったのは、「チンチャンチョーン」と目の形をバカにされたことを周りのドイツ人の大人に話すと、「それは、かわいいと思ったから、やっただけ」というような非常に「軽い」対応をされたこと。生まれた持った容姿をからかわれたアジア人の気持ちなどには全く配慮していませんでした。少しテーマがとんだかもしれませんが、風刺画が話題になった際無関係な話ではないと思いましたので書かせていただきました。★サンドラ★

      9:55 AM サンドラ・ヘフェリン
  • サンドラ・ヘフェリンさんの言ってる事は正論である。
    また、日本の新聞社は風刺画を載せてはならない。
    なぜなら、日本でテロが起きてしまったら、たまったもんじゃないからだ。

    12:17 AM 日本国民
    • 日本国民さん、
       
      コメントどうもありがとうございます。今回の日本の主要な新聞社の決断(載せない、という決断)は良い意味で「日本らしい」決断ですよね★サンドラ★

      9:40 AM サンドラ・ヘフェリン
  • 文化の違い…顕著に出ていますね。
    個人的に政治や権力に対する風刺は奨励されるべきだと思いますが、特定個人や差別に繋がるものは規制された方が良いと感じます。今回の件はイスラム教自体を非難したものでしたしね。

    3:37 AM Nozomi
    • Nozomiさん、
       
      そうですね、文化の違いは大きいですよね。上のどこかでコメント欄にも書かせていただきましたが、確かに欧州では「カトリック教会」や「ローマ法王」をおちょくるような風刺画も沢山出ていますが、それらの描写の多くはどこかほほえましくもあり、やはりどこか「身内に甘い」描き方なのですね。イスラム教に関しては今回本当にえげつない描き方(←上にterre12756さんがかかれています)をしていて、そこには愛情はみじんも感じられないし、完全に「外部の人をバカにする描写」になっているのもやっぱり問題ですよね。かといってテロを起こすのは論外ですけど。★サンドラ★

      9:37 AM サンドラ・ヘフェリン
  • Sandraさん、

    フランス在住日本人です。

    Charlie Hebdoについては、私も考えさせられました。

    仰いますとおり、風刺の文化はフランスに根付いているので、特に自国内のことについでを皮肉たっぷりに言っている分には言われている方も肩をすくめて終わり位(たぶん)だと思います。

    この文化を共有していない文化圏の出来事や思想についてまで同じことをしたら、それは自国(フランス)文化の押しつけであり、異文化を蹂躙していると捉えられても仕方ないのではと思いました。

    だからと言って殺してまで報復、というのも考え物ですが、原因については分かるような気がしますね。挑発しすぎです。

    夫はフランス人(アラブ系ではありませんし、ムスリムでもない)ですが、事件が起こってからすぐに「自由(平等・博愛)が行き過ぎてこの結果だ」と、Charlie Hebdo側のことを批判していました。

    しかし、やはりフランス人の大半は「(言論の)自由を守ってしかるべき」の部分だけを取り上げてデモなどしていました。

    言論の自由がフランス文化なのなら、やはりその国(+近隣)の、この文化を共有できる圏内のトピックに収めるべきですね。他の文化にも、「関係ないフランス人には絶対に茶化されたくない部分がある自由」があるのですから。

    7:35 PM cochon d’inde
  • 結構前の記事ですが…すいません、意見を書かせていただきます…。
    風刺画の問題、難しいですね。
    私はこの記事を読むまで、「は!?なんでそんなことするの!?ちょっと度が過ぎているんじゃないの!?」という考えでした。
    それと、アメリカで風刺画がの展示会が開かれてテロが起こったこともあって、「なんで相手の気持ちを考えないのかな…君達だって、キリストを風刺画がでひどく書かれたら、激怒するんじゃないの?」と思っていました…。
    でも、ヨーロッパでは風刺画って結構普通なんですね。
    私は政治風刺でも少し抵抗を感じる感性をしているので、このことはとても衝撃でした。
    結局は文化の違い、価値観の違い、感性の違いなんでしょうね…。
    グローバルして、インターネットで地球の裏側でもやり取りが一瞬でできるようになったこの世の中、このような話はこれからどんどん出てきそうですね…。

    1:12 AM やまさ
    • やまささん、
       
      コメントありがとうございます。
       
      そうですね、風刺画に関しては特に「文化の違い」が露になりましたね。風刺画を見慣れている文化圏(ヨーロッパ)、また地位ある人も風刺画を描かれることに心理的にも慣れている文化圏(ヨーロッパ)VS「そうでない文化圏(風刺画に慣れていない文化圏)」とでは衝突がやはり起きやすいですよね。そういった誤解って、異なる文化圏の間では沢山あるのですが、風刺画では本当に悪い意味で分かりやすくその違いが露になってしまいましたね。★サンドラ★

      2:56 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 主旨については概ね賛同できる内容なので、これから述べる事はあくまで「批判」ではなく「指摘」として受け取ってください。

    私は芸大で美術史を学んできた者ですが、絵巻物、浮世絵などなど、日本でも数えきれないくらい沢山の風刺作品が長年に渡って作り続けられています。例えば有名な『鳥獣人物戯画』は、平安時代には既に制作されていますし、江戸時代には歌川国芳、喜多川歌麿などなど多くの浮世絵師によって非常に多くの風刺画が描かれています。また、明治時代には「團團珍聞」という、風刺画専門の雑誌すら出版され、ジョルジュ・ビゴーなど日本を辛辣に風刺する外国人画家の作品でさえも掲載し、庶民に楽しまれていました。

    現在に於いても、新聞や雑誌に風刺画が掲載されている事はまったく珍しくありません。庶民感覚にそった物、社会問題を提起する物、政治を皮肉った物、何かに対して批判的な物、ユーモラスな物、過激な物など、様々な作風の風刺画を、色々な媒体で見る事ができます。何と言っても日本の場合は漫画による風刺表現が実に盛んです。例えば、やくみつる、小林よしのり、針すなおといった、テレビやラジオなどでも活躍されている様な風刺漫画家さんさえおられるほどです。また、絵に限らず和歌や落語などの芸能分野にも風刺表現は幅広く見受けられます。

    「日本では風刺画という文化は、実質的にはないに等しい」という部分に関しては、全くの事実誤認か研究不足、あるいは、あえて強い言葉で言うなら暴論と言わざるを得ないです。

    9:56 PM 海老原
  • 宗教とは他国の人の信仰に関わるものである故、特に他宗教の神やシンボル的な創始者(キリスト、ブッダ、マホメット)の風刺画特に今回の襲撃の原因となったマホメットを揶揄している感じのものは「絶対に」禁止すべきであると考える。
    自分たちの感覚で他国の宗教にコメントしたり風刺するのは絶対にタブーである。信仰を冒涜されたと見做されても仕様がない。

    7:09 PM そらワシは和風が好きだからグローバル化には反対だわな、温泉に行ってタトゥーだらけでは入る気にはならないがな、郷に入れば郷に従って欲しいわな氏

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