「お国柄」というものについて

2014.7.3

ハーフというテーマにも関係するトピックですが、

日々色んな国の、色んな文化圏の人と接していて、思うことは、

「お国柄」というのは、やっぱり「ある」ということ。

最近、私が書いたコラム国によってこんなに違う!「ポジティブ思考」VS「ネガティブ思考」の中でも、例えばドイツ人は「グチが多い」などと書きましたが(笑)

・・・国によって明るい・暗い・律儀・明るくてアッケラカン・・・・などの「傾向」って、やっぱりあるのです。

ドイツ人がわりと「批判好き」で、愚痴やネガティブな事を頻繁に言うように(それがドイツ人同士のコミュニケーションになっていたりします)、

そして例えば日本人には仕事に黙々と取り組む勤勉な人が多いように、そして時間に遅れない日本人が多いように、

ブラジル人やイタリア人には社交的で明るい人が多い、というのもまた「傾向」。そして彼らの多くに遅刻が多いことも(ごめんなさい!)一つの「傾向」。

それは事実として「ある」のだから、否定できない事だと思います。

たまに、「そんなことはない。人は、ほんとうに『それぞれ』で、国の違いなど(全く)関係がない!」と言う理想家もいますが、

そういう事を言う人は、ぶっちゃけ後に失望することが多いです。

というのは、たとえば「『南米の人だから』とか『南ヨーロッパの人だから』といって、遅刻するということは絶対に無い!国など全く関係なくて、『その人個人』なんだ!僕(日本人)は彼らとの待ち合わせ時間にはピッタリ行く!彼らも、待ち合わせ時間の2時15分には遅れないはず!」

な~んて意気込んで行くと、見事に裏切られ、1時間待たされたりします(笑)人生、そういうものなのです。

理想家で博愛主義者の(一部の)日本人は、「国が違うからといって、遅刻する、という事はない。本当に人それぞれ。」という幻想をときに抱きますが、結果、待たされたり、約束を破られたりで余計に失望させられることになります。

人間、失望させられると、「やっぱり、●●人に約束を破られたか・・・」「やっぱり、そうか・・・(やっぱり、●●人は遅刻したか)」と、かえってその国やその文化圏への偏見が強くなるものです。

こういうのは、本当にもったいないな、と思います。

国によって、「待ち合わせの時間をピッタリ守る」お国柄、そして、それとは逆に「遅れてくる(あえて『遅刻』とは書きません)のが普通」のお国柄って、やっぱりありますし、

そういう事実が「ある」ことを知識としてやっぱり知っておいたほうが、イザとなった時(つまり例えば相手に大遅刻された時)にガッカリせずに済む、というのはあると思います。ですので、そこは現実的になってもいいと思うのです。

ただし。

「お国柄」ばかりを重視し、「その人個人」を見ないのは、やっぱりダメですよね。

例えば、時間通りに来るブラジル人が目の前にいる場合は、

ちゃんとその事を「事実」として受け止めなければいけない。

そう、「お国柄」とは、あくまでも「傾向」なのですね。

そして「傾向」には必ず「例外」があるわけです。

例外がある、ということは、

勤勉だとされている日本人の中にも、仕事をサボる日本人がいたり、

ネガティブだとされているドイツ人の中に物凄い明るい人がいたり、

(全体の傾向として)遅刻の多いイタリア人の中に、時間に正確なイタリア人がいたりすることも、また「当たり前」なのです。

なので、しつこいようですが、イザ自分の目の前に、その「例外の人」が現れたら、その人の事を「お国柄」で判断せずキチンと評価してあげるべきだと思ってます。ちゃんと「その人本人」を見てあげることが、偏見の払拭につながるのではないのでしょうか。

それに「お国柄」だといっても、やっぱり「環境が人を作る」部分は否めませんから、

日本の学校で教育を受け、

日本の会社に長年勤めている人ならば、

たとえルーツが「遅刻の多い国」にあっても、その人本人は遅刻が少ない場合も多いです。(とはいっても、仕事では時間を守るけど、プライベートでは時間は守らない主義の人もいますけどね。笑)

まとめると、

「お国柄」はあくまでも「傾向」、最終的には「その人本人」を見ること、が大事なのではないでしょうか。目の前にいる人をキチンと受け止めてあげる精神というか。

あくまでも「傾向」としてのお国柄を「過信」すると、それは特定の国や文化圏出身の人々に対する偏見につながる事もまた否めない。

かといって、お国柄を完全に否定する理想主義に走ってしまうと、前述のような例(「南米出身や南ヨーロッパの人だからといって、遅刻するはずはない。時間通りに来るはずだ!」と日本人が過信。でも結果は大遅刻されて、日本人は失望)も出てくるわけです。

こればかりは、うまい「さじ加減」が大事かもしれません。

ちなみにドイツ人が対象の場合は、日本人側が「ネガティブな話が多いんだろうな・・・」ぐらいに思っておいたほうが良いかもしれません(笑)そうすれば、実際にドイツ人と会って、本当にネガティブな話が多かった場合はヘタに失望せずに済みますし、万一そのドイツ人が「例外」でポジティブな話をいっぱいしてくれたら、それはそれでラッキー!だと思えますしね。

なんだか長くなってしまいましたが・・・・・

気持ちの持ち方としては、お国柄は「ある」、でも例外が現れた時にはちゃんとそれを認めること。これが大事かと思いますが、いかがでしょうか。皆様のお考え、ご体験やご経験もぜひ教えてくださいませ。

サンドラ・ヘフェリン

★☆★追記★☆★

めずらしく、「美容ネタ」を書きました。日本と外国の美的感覚の違いについて。

「顔が小さいね」はNG!? 外国人を褒めるときに注意したいこと

・・・「こけしのように綺麗」と言われた日本人女性の気持ちと、「フランス人形みたいにかわいい」と言われた欧米人女性の気持ちは、似たようなものかもしれません(笑)

コメント

  • こけしの話ですけど(どんな話だ)、これって「人形」という言葉に対して持っているイメージの違いが大きいですよね。フランスなどでは、日本より、「人形」イコール「非生命体」「カラッポ」という印象が強いんだろうな。日本でももちろんそんなニュアンスがこもってることもありますけど、逆に、髪の伸びる人形とか、人形に魂が宿っているように捉えることも多いですし。木や石に神が宿るという考えのように…

    それから、欧米で活躍する俳優やモデルも、大体日本で言う「顔が小さい人たち」だから、そういう人が美しいとされているというのは、欧米にも確かにあるんだと思う。ただ欧米では「小顔」だけじゃなく、「○頭身」とかバランスを重視するのかな?○頭身て英語である言葉なのかわからないけど。身長が高いことも重視するのか?
    逆にたとえばドイツで、スタイルや顔の見た目がきれいな人を褒めるときって、どう表現するんですか?小顔と言わないならバランスとれてるとかいうのかな?○○のようにきれい(人形のように、じゃないなら、例えば花のようにとか)、などの表現はしないんですか?

    1:55 AM ゆり
    • ゆりさん、
       
      >逆にたとえばドイツで、スタイルや顔の見た目がきれいな人を褒めるときって、どう表現するんですか?
       
      ↑基本、目の前にいる相手の容姿についてコメントをすることはあまりしないですね@ドイツ。もちろん、恋愛関係にある場合、男性が女性に「髪が綺麗」とか「綺麗だよ」とか言うことはありますが、そうでない場合、あまり容姿については触れないかと。「背が高いね」ぐらいは言うかもしれませんけどね。ですので、たとえば女性同士で「肌がきれい!どういうお手入れをしているの?」というような「女子トーク」もドイツでは聞いたことないですねー。★サンドラ★

      10:36 AM サンドラ・ヘフェリン
  • あ、でも、日本において「こけしはかわいくない、フランス人形はかわいい」という、西洋礼賛みたいな美意識は確かにありますね。こけしはかわいくないどころか、コワイという印象も強いですけど…

    1:59 AM ゆり
  • ステロタイプの話にもつながりますが、これって統計学の基本の話ですよね。「お国柄」とか「ステロタイプ」ってある共通項を持った人たちの大多数はこう、ということを説明してるわけですよね。だから、例えば(たまたま)ドイツ人である個人には当てはまらないかもしれないけれど、ランダムなサンプルのドイツ人を100人以上集めれば、その「傾向」が顕著に見られるってこと。だから、例えばドイツ人の友だち一人、アメリカ人の友だち一人、スロバキア人の友だち一人、台湾人の友だち一人、タイ人の友だち一人・・・、でそれぞれの国は代表できないんですよね。その一人一人がたまたま「お国柄」を体現してる人でない限りは。

    ってなわけで、結論は一緒なんですが、私に取ってはこのお国柄ってものはあるのかないのかって問題は、人の「統計」ってものの性質を良く理解してないから生じる問題なような気がします。相変わらず考えすぎてるような感がないでもないですが。そんな私はアメリカ的でも日本的でもなく、完全に我が道まっしぐらな人です。www

    6:58 AM かぐや
    • かぐやさん、
       
      さすが!学術的な視点からのコメントありがとうございます。
       
      >だから、例えば(たまたま)ドイツ人である個人には当てはまらないかもしれないけれど、ランダムなサンプルのドイツ人を100人以上集めれば、その「傾向」が顕著に見られるってこと。だから、例えばドイツ人の友だち一人、アメリカ人の友だち一人、スロバキア人の友だち一人、台湾人の友だち一人、タイ人の友だち一人・・・、でそれぞれの国は代表できないんですよね。その一人一人がたまたま「お国柄」を体現してる人でない限りは。
       
      ↑その通りです!統計の話だとわかりやすいですね。書いて下ってありがとうございます。★サンドラ★

      10:40 AM サンドラ・ヘフェリン
  • 中々興味深いお話、前のコラムに続いて、現在読んでる本『オレもサッカー海外組になるんだ!!!』からドイツのお国柄についていくつか質問します、答えられる範囲でよろしいので、よければ答えて下さい。
    『監督はキミのことを忘れてるんだよ。試合に出られなくても、楽しそうに応援してるだろ? だから、その立場に納得したものと思われている。次の練習で“オレを出せ”と言うんだ。怒鳴るくらいの勢いでね』日本には、監督に選手起用のことで物申す文化はない。困りましたよ。
    〈自分の責任を果たすことに、全力を尽くす。それ以上のことは知らない〉ここまで、ドイツでさんざん接してきた考え方だった。

    ドイツ文学者、小塩節先生の著書『ドイツ語とドイツ人気質』には、こんな一節がある。“少なくともドイツ語や英語など、欧米語を使う限りは、沈黙は美徳ではない。沈黙は愚鈍とされる。語って語って、自己主張をしつくさなくてはいけない。黙っていてもこちらの気持ちを相手が察してくれるだろうなどと考えては大間違いであって、ことばに表現されたことだけで、人はこちらを判断するのである。黙っているということは、ことばがないからであり、ことばで表現しないのは、頭の中で何も考えていないからである。欧米人はそう判断する。何も考えないのは、まさしく愚鈍なのだ。”
    私は個人的に、これから国際結婚や国際児、つまりハーフやミックス、移民はどんどん増えて、日本の単一性や『和』が失われていき、日本の美徳である『察する』や『推して知るべし』が無くなり、自己主張をして相手に伝えていかなければいけない時代になると思うんですが、サンドラさんはどう考えますか?
    というかサンドラさんのしてることは、とても純日本人や日本の文化に気を配っていますが、自己主張だと思います。

    10:33 AM Voila
    • Voilaさん、
       
      コメントありがとうございます。
       
      Voilaさんが書かれていた
       
      >ドイツ文学者、小塩節先生の著書『ドイツ語とドイツ人気質』には、こんな一節がある。“少なくともドイツ語や英語など、欧米語を使う限りは、沈黙は美徳ではない。沈黙は愚鈍とされる。語って語って、自己主張をしつくさなくてはいけない。黙っていてもこちらの気持ちを相手が察してくれるだろうなどと考えては大間違いであって、ことばに表現されたことだけで、人はこちらを判断するのである。黙っているということは、ことばがないからであり、ことばで表現しないのは、頭の中で何も考えていないからである。欧米人はそう判断する。何も考えないのは、まさしく愚鈍なのだ。”
       
      ↑ですが、その通りです。「その通り」というのは、私サンドラが「沈黙は愚鈍である」と思っている、ということではなく、ドイツでの一般的な考え方はそうなんです、ということですね。友達作りの場面でも、仕事の場面でも、全部その傾向がありますね。よって友達ができないのも自己主張が足りないから、、、みたいな話にドイツではなりがちですね・・・。

      記事にもチラッと出てきますが、話せば話すほど良い、批判できる人が勝ち!みたいな雰囲気がドイツにはありますからね。そのため、ポジティブな事ばかりを口にし、反論をあまりしないと、“Die sagt zu allem Ja und Amen…“(「彼女は何に関しても『はい』と『アーメン』と言う・・・」)なんて言われてしまいます。日本とはまたちがうシビアな世界なのです。★サンドラ★

      10:53 AM サンドラ・ヘフェリン
  • 私、お国柄で大変な思いをしたことがあります。
    バングラデシュ人のコーラン勉強会に行ったとき、6時集合だったのに、全員集まったのは1時間半後!娘はお腹空くし、私は次の日仕事だから明日が大変だしで、相当むかついたのを覚えています。普段は時間を守るけどバングラデシュ人同士だと守らない、が暗黙の了解になってしまっていました。普段は時間通りに来る人がバングラデシュ人同士だとやらない、でも日本人と結婚している人もいるので、それはちょっと、、、と思ってしまいました –;

    10:45 AM Jannat
    • Jannatさん、

      あはは、わかりやすい例を書いてくださってありがとうございます^^Jannatさんも、お子さんも大変な思いをしましたね・・・お疲れ様です~
       
      また、コラム、ちょくちょく書いていきますね。これからも、よろしくお願いします★サンドラ★

      10:58 AM サンドラ・ヘフェリン
  • あと、うちのお母さんは外国人の友達がいないからか、日本人の価値観で理解できないことが少しでもあると「だから○○人は!」になっていました。確かに問題のある人は人種や国籍関係なくあるのですが、日本の常識をちょっとでも知らないと「やっぱり日本人のほうがいい」となってしまうのはすごくもったいないな、と思ってしまうのです。

    10:55 AM Jannat
    • Jannatさん、
       
      またまた興味深いエピソードをありがとうございます。そう、あまり他国の事情を知らないと、ちょっと日本での「常識」に合わない事を(外国人やハーフが)すると、即「全く!だから●●人は・・・・本当に、もう・・・!」となるんですよね。仕事は別として、個人レベルの人間関係で、これは非常に「もったいない」と思います・・・★サンドラ★

      11:00 AM サンドラ・ヘフェリン
  • 「美容ネタ」についてですが、日本では色白の女性が美しいといわれますが、欧米では日焼けした小麦色の肌がステータスですよね。
    ドイツでは女子トークがないのですか。羨ましいです。
    この方、女子力が低いので…。
    ファッションは好きですがスカートはあまり穿かないし、化粧とか肌のお手入れとかしていないので。
    ドイツは女子力が低い女性に優しそうな国ですね。

    8:03 PM Maria
  • サンドラさん、いつも楽しく読ませて頂いています。私もドイツには長いですが未だに理解しがたい現象(お国柄)があります。傾向としてドイツ人女性はスカートをはかない人が多いです。特にビジネスシーンではパンツスーツばかり。また眼鏡をかけて女性のショートヘアではなくて男みたいな短髪スタイルの人が多い。これは昔流行ったウーマンリブの影響からなのでしょうか?フランスやアメリカの女性政治家のように化粧ばっちりでハイヒールで颯爽と歩くフェミニンなキャリアウーマンが極端に少ない気がするのですが。これは一般的にフェミニンな雰囲気だと世間から馬鹿にされるから?なのでしょうか。ドイツ人男性も見た目がごつくて体育会系の人の方が成功するとされているらしいですが。。。

    6:14 PM エンテ
  • 私は4つのタイプに人間が区別できると思わないので、血液型占いを信じていません。また12タイプに区別できるとも思えないので星座も信じません。

    お国柄は、教育や環境の影響もあるので、多少の影響はあるかも?と思いつつ、私は厳格なキリスト教徒の寄宿舎に育ったのに、不可知論者の懐疑主義者に育ったので教育も環境もどこまであてになるかわかったものでもないな。と思ったりします。

    しかし教育が幼稚園のときから人前でスピーチするような自分の意見の主張をする教育を受けたのでその面はその学校の教育の影響を受けているかもしれません。

    なので国連のオブザーバーやモンテビデオ条約の要件を満たす国を合わせると、206箇国あるわけですが、宗教や文化の違いでお国柄の違いはあっても、やはり個人個人の個性というほうが際立つのではないかと思っています。

    ※フランス人形は。15世紀のイタリアで優秀な彫刻家兼人形師により優れた人形が製作され、それがフランスにも波及して、貴族女性の衣服を宣伝するための等身大の人形が作られ、いわばマネキンのようなものとして、これが後のフランス人形につながったとされているそうです。
    漫画や映画で呪いの象徴として登場する事もあるようですが、全体的にイメージは悪くないように私は思います。

    こけしは東北でもとは子供の健康を祈ったお人形だったらしいですが、天保の飢饉の時、飢饉に苦しめられ親の手で命を落とさなければならなかった子供たちへの供養がこの人形にこめられてるとかいう説があります。

    http://www.amazon.co.jp/鬼-潮漫画文庫-山岸-凉子/dp/4267016437
    この漫画ではこけしは出てきませんが、こうした状況下でこけしができたという説があります。
    こけしについては私はさまざまな小説や漫画などでどうしても天保の飢饉を思い浮かべ、ネガティブなイメージをもってしまいます。

    お人形でもその背景をどう知るかで印象がまったく違ってきますね?

    >気持ちの持ち方としては、お国柄は「ある」、でも例外が現れた時にはちゃんとそれを認めること。

    お国柄に関しては私もサンドラさんに近い意見です。人間、1人1人、個人、個人とはいえ、共同体の社会である国がまったく影響しないとは思えないし、宗教など尊重すべきものもあると思うからです。

    1:07 AM J
  • いつも楽しく拝見しています。

    割といろんな国出身の友達に囲まれて日本で暮らしている日本人ですが、
    確かに’傾向’はある気がします。

    だからこそ、なんですが・・・。

    昔、子供たちにいろんな国の文化を楽しんでもらおうというボランティアをした時、
    5~6か国のメンバーで学校近くの駅で集合したのですが、
    遅刻したのがなんと、時間にきっちりそうなイメージの日本人とドイツ人。(爆)
    時間にルーズなイメージのあるイタリア人(←ものすごく几帳面な人。)に「日本人とドイツ人が遅れるってどういうこと!!」って怒られました。(笑)
    そしてその後みんなで大爆笑。

    これがネタになるあたりが国民性なんだろうなって思いました。^^

    7:12 PM みき

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です