私、日本人です~

2013.11.25

さっき麻布のスーパーのレジで会計をしたら

レジの人に「日本語お上手ですね」

と言われたので、

「日本人です~^^」

と言いました。

驚かせるつもりはなくて、自然に出た言葉だったんだけど。

でも、やっぱりというか、やっぱりレジのオバちゃんは「・・・」と無言だったなあ(笑)

まあ、どういう意味での「・・・」なのかは、わからないけど。

実は今まで「私、日本人です~」と言って

その後、会話が弾んだこともあるけど、だいたいは「・・・」って無言になりますね(笑)

人間、「自分とは違う」と思っていた相手が

実は「自分とは同じ」だと知ると、それを簡単に受け入れられない事が多いみたい。

たとえば(純ジャパの)日本人が「あの人、外国人だ~^^(自分とは違う!)」と思っていたのが、

よく聞くと違ったりすると(日本人だったりすると)、残るのは「違和感」ばかり、という悲しい現実。

ちょっと次元が違うかもしれないけど、先日も興味深い話を、あるジャーナリストから聞きました。

そのジャーナリスト(純ジャパの日本人)は、以前アフガニスタンに取材に行っていたのだけれど、

アフガニスタン現地では、ドイツ人ジャーナリストと一緒に行動していたのだそうだ。

現地のアフガニスタン人数名に案内されながら、アフガニスタンの中をまわる日本人ジャーナリストとドイツ人ジャーナリスト。

何日間も一緒に過ごすので、日本人ジャーナリスト、ドイツ人ジャーナリスト、そして案内役のアフガニスタン人達と雑談もたくさんしたそうだ。

その雑談の中で、現地の(案内役の)アフガニスタン人が、

「ドイツ人とアフガニスタン人は実は同じアーリア系なんですよ^^」と

嬉しそうに、ドイツ人ジャーナリストに話しかけたら、

そのドイツ人ジャーナリストは、それはそれは物凄~く嫌な顔をしたんだそうな。

これも、「相手(アフガニスタン人)は僕(ドイツ人)とは違う」と思っていたのに、相手に「アナタ(ドイツ人)と私(アフガニスタン人)は同じだ」と言われたことによって感じる「違和感」なのですね。

私は人類学者ではないので、果たしてドイツ系とアフガニスタン人が同じアーリア系なのかは分かりかねますが、

でも、話を聞く限り、相手を喜ばせようとして、いわばお近づきの印に

「私とアナタは(元をたどると)同じ民族なんですよ」

と言ってくれたのに、

それに対して、嫌な顔をするのは、性格悪いと思う。そこは一緒に喜んであげてもいいのにさ。

日常生活においても、ずっと「あなた、(私と)違うよね^^」と思っていた相手に、「アナタは僕と同じですよ」

 と言われると、嫌なリアクションをしてしまうのって、よく見かけるし、人間の性なのかもしれないけど、

気をつけたいな、と思った。

通常において、人間は、「相手と同じ」または「相手と共通の部分」が見つかると嬉しくなるものなのですが、不思議ですよね。

そういえば、ドイツにはよく

喜んでアフリカの貧しい子供達のために寄付をするドイツ人のおばあさんがいます。

でも、このおばあさん、イザ、自分の家の隣に黒人が引っ越してくると、物凄い嫌な顔をしたりします。

これも、遠くからのサポートは喜んでするけど、(自分とは違う、と思っている人に)同じ土俵に入ってこられるのは嫌、

だいたい隣に住むなんて、共通点が出来てしまって嫌、という感情にほかなりません。

「私が『上』で、遠いところにいるアナタにお恵みをしてあげてるの。あなたと私は(生活レベルも)違うから」と、

「アナタと私は違う」と感じられるうちは、心の平安が保てるけど、

イザ「自分とは遠く離れた所にいる、自分とは違う人」だと思っていた人が、自分と同じ生活レベルで同じ家賃の金額の隣のマンションに引っ越してきたら、

(少なくとも生活レベルにおいては)ドイツ人のおばあさんに近づいてきているので、

おばあさんとしては「違和感」を感じているのですね。「アナタと私は違うのに、なんで隣のマンションなのよ!」みたいに。

そう考えると、

人間の心って本当に複雑というかダークというか、ドス黒い部分が確かにあるのですね。

これも人間の一面。

自分も自覚をしたいと思いますし、自覚することで、ちょっとはこのようなことを防げたらいいですね。

皆さんの観察した事や、体験談、今まで思った事や感じた事もよろしければ教えてください。

                  サンドラ・ヘフェリン

追記:

cakesの連載、スタートしました☆

https://cakes.mu/posts/4109

https://cakes.mu/posts/4131

よろしくお願いします☆

コメント

  • これ、すごーく分かります。私のお母さんも私が今の旦那さんと結婚する前は「白人はインテリだけど黒人はブルーカラー(そうとしか見られない)」という偏見に満ち満ちていました。当時はお母さんの言うことは聞くものだったので、自分の意思に関係なく「黒人も白人も嫌。結婚するのなら絶対にアジア系(無難だから)」というオーラを出しまくっていました。実際、ヒスパニック系アメリカ人の女の子と、このことで大喧嘩したこともあります。今考えると非常にイタイですね ><
    でも同時に、そういう狭い考え方のままだと、黒人で大学教授をやっていたり、白人の工事現場で働く人達に遭遇すると、お母さんの説が当てはまらなくなってくるのです。そのあたりでも、物凄く混乱しましたし、納得も出来ませんでした。今考えたらお母さんでさえも欧米やアメリカでの普段の生活を知っているはずもなく、自分の世代の日本での考え方をそのまま当てはめていただけなんです。ドイツのおばあさんのように「(娘が留学していようがいまいが)違う人種の人は自分や娘とは別世界の人。娘は英語を習いに行っただけで、心は全くの日本人だから。」という認識でしかなかったのですね。

    あと、アフガン人が「われわれは同じアーリア人」とドイツ人に言ったときに、ドイツ人が嫌な顔をしたようですが、ものすご~く想像できます。私だったら嬉しいですけどね。
    アフガン人は分かりかねますが(でも欧米系のルーツがあるはず)、インド系の人達も元を正せばヨーロッパ系移民が現地のドラビダ系と混血した人達です。しかしインドアジア大陸の北側ともなれば、より純粋なヨーロッパ系に近くなり、肌の色も白い人が多くなります。肌の色の違いや文化の違いで欧米人はやたらと差別しますが、これって回りまわって自分たちはアホ、と言っている様なもんだよな~、と思ってしまいます。結局は自分たちの先祖を差別しているかも知れないからです。
    本来ならば、旦那さんも娘も欧米系のミックスと思ってもいいはずですが、周囲が納得しないし、文化的には欧米ではないので、まあインド系でいいのでしょう。どちらにしても娘には、ルーツはバングラデシュだけでなく、ヨーロッパにもアジアにもあるのだ、ということを教える必要がありそうですね。

    1:32 PM Jannat
    • Jannatさん、
       
      真っ先にコメントありがとう!もう完全に同意します。書いてくださってありがとう。
       
      >肌の色の違いや文化の違いで欧米人はやたらと差別しますが、これって回りまわって自分たちはアホ、と言っている様なもんだよな~、と思ってしまいます。
       
      ↑これは、(一部の欧米人ではありますが)あたっていますね。「違い」を目ざとく見つけて「アンタは(我々とは)違う人!」とやりがちですが、ほんとう何の意味もない、いや、害のある事だと思ってます。★サンドラ★

      3:57 PM サンドラ・ヘフェリン
  • この違和感は、パーソナルスペースと似ていますね。パーソナルスペースとは、他人に近付かれると違和感を感じる空間のことです。相手がパーソナルスペースの外側にいる(私とあなたは違う)と思っていたのですが、実は内側にいた(私とあなたは同じ)。物理的に近づいているわけではないのですが、心理的に近づいたため、相手がパーソナルスペースに入ってきたときのような違和感を感じた。
    このように考えると、この違和感は誰にでもあることかもしれませんね。また、国籍や所得以外のことでも似た違和感が生じるかもしれない。自分も気をつけたいなと思いました。嫌な顔をされたら、ちゃんと話し合いたいなとも思いました。

    4:32 PM katsutoshi
    • katsutoshiさん、
       
      上手く例えてくださってありがとうございます。そうですね、「彼らは『外側」の人!彼らは、私達『内側』の人ではない!」と思っていた人に対して、人は厳しく接しがちですよね。またお話しましょう~。★サンドラ★

      4:00 PM サンドラ・ヘフェリン
  • これって選民思想の一部だと思います。
    日本人の一部に中国人がルーツだと言うと、嫌な顔をする人がいますので。
    同じくアメリカ人にも『結局アメリカの政治ってさ、ヨーロッパの啓蒙思想の二番煎じだよね~』なんて言うとムッとくるアメリカ人もいますから。
    どちらも事実なのにね。
    ところでわたしはサンドラさんのようにハーフに見えない”残念ハーフ”(笑)なのですが、日本で生きていくうえでこの外見にものすごい感謝!!!!
    だってわたしがハーフと言わない限り、みんなわたしの事を日本人と見てくれるし、面倒な事も全くない!!快感!!
    やっぱり人間って不思議ですね。

    5:21 PM Maria
    • Mariaさん、
       
      コメントありがとうございます^^
       
      選民意識が絶対にありますよね。そこは、私自身も含めて気をつけ過ぎるぐらいでちょうどいいと思います。
       
      Mariaさんは「日本人」の顔なんですね^^私もドイツへ帰るたび「埋もれてしまう気持ちよさ」(自分が見た目の面で、周りのドイツ人に埋もれてしまう)を経験しているので、その気持ちよさはよくわかります(笑)★サンドラ★

      4:04 PM サンドラ・ヘフェリン
  • あー、相変わらずのあるあるだ。

    麻布ならハーフ慣れしてる人多そうだけど、そうでもないのかな?

    5:30 PM simon
    • simonさん、
       
      そう。「麻布なのに?」って思ったと思うけど、実は、その麻布のスーパーは、外交官やフィリピン人のメイドさん達がよく買い物するスーパーで、彼らの大半は日本語はあまりできないのですね。だから、逆に店員さんは「日本語のできない外国人」に慣れていて、そういう意味でもビックリしちゃったのかも?なんて後になって思いました。★サンドラ★

      4:15 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 人種や格差で貴方と私は違うと差別したり比較したりする人間のドス黒い部分というのはたしかに一部の人にあてはまるものがあるかもしれません。でも「これも人間の一面」というのには私は、そうではない人もいると思うし、実際そういう方にお会いした事も多いと思います。
    私のマイミクさんでちょっと前にマザーテレサのインドのマザーハウスでボランティアしていた人がいますが「尤も貧しく、もっとも力なく、死にゆく人の力になろう」というボランティアの人の中の多くは人種や格差の差別意識がない方が多いように感じます。
    宗教関係なく(無宗教でも)人種や格差の差別がない方は私の経験ではそのマザーハウスのボランティアの方だけではなく、私自身が入院していた精神病院の閉鎖病棟の看護補助さんなどもそうでした。
    どんなに老齢でどんなにおかしな行動をしても患者を「人」としてみつめ差別なく対応していらっしゃる方もいました。
    もちろん世の中には人種だけではなく、認知症の老人や、貧しい人や、病いの人を差別する人、虐待する人さえいますが、世の中には善良な人もそんなに少なくはないというのが私の実感です。

    8:47 PM J・O
    • J・Oさん、
       
      コメントありがとうございます☆
       
      J・Oさんのマイミクさんのようないい方ももちろんいると思うし、そういう人達ばかりだったら、世の中平和なんですけどね^^
       
      ただ、私はやっぱり人間、こういう「ダメな部分」も持ち合わせていると思うんです。だから世界では、戦争や内戦やイジメがこれほどまでに多いと思ってます。イジメっ子も、「ある子に対しては凄く冷酷だけど、他の人に対してはいい子」だったりしますからねえ。そこが人間の難しいというか簡単に説明しきれない複雑なところだと思います。ですから、そういう「ダメな部分」を認識して意識し過ぎるぐらいでちょうどいいかな、とも思うのです。もちろん目的は「そうでなくなること」を求めて。★サンドラ★

      4:18 PM サンドラ・ヘフェリン
  • ドイツ人とアフガニスタン人のお話とは違うレベルのものですが、その「・・・」、私は「カテゴリー化中」と呼んでいます。頭の中にある「カテゴリー」に誰かがあてはまらないと混乱してしまい、なんとかして存在するカテゴリーに押し込もうとする「・・・」。

    例えば、毎度のことですが:
    相手「お国はどちら?」
    私 「あ、日本です。」
    相手「・・・。 えーと、どちらで生まれたんですか?」
    私 「あ、日本なんです。」
    相手「・・・。 でもほら、外国で育ったんでしょ?」(少しイライラ)
    私 「いえー、生まれも育ちも日本です。」
    相手「・・・。 ガイジンだよね?どこの国の?そこが聞きたいんだよ。」(攻める口調)
    私 「いえ、日本人です。」
    相手「・・・。 ・・・・・・・・。 もしかして、ハーフ?」(一筋の光が差し込んだような表情)
    私 「え、まあ・・・」
    相手「あーあーあー!!わかった、わかった!ハーフか!どこの国との?え、アメリカ?じゃ、アメリカ人なんだね。ふーん、ふんふんふん、今、全部わかった!」(すっきりした表情)

    で、そこから、「ハーフのカテゴリー」に入れられ、その人の「ハーフの定義」に沿って扱われます。勝手に父を軍人にされたりね。
    そこで私が「ちがいます」と言うと、「・・・。 ・・・でも、母子家庭だよね?」
    と、また始まります(^^;)

    問い詰めた結果、私を入れる「カテゴリー」が自分の中にないと気付くと、サーッと引いてそれ以降近寄らなくなる人も多いです。
    カテゴリー化やめちゃえばラクなのにねえ。

    12:36 PM Misha
    • Mishaさん、
       
      非常に分かりやすい会話例をありがとうございます^^ほんとうに「あるある」ですね・・・!悲しいのは、Mishaさんも書いていたみたいに、話していく中で相手がイライラしてきたり、(納得がいかないため)曇った表情になることですね。「いま、目の前にいる相手」が「カテゴリー」に当てはまらない事が、「大きな問題」となってしまっているんですよね。自分も気をつけたいと思います。★サンドラ★

      4:28 PM サンドラ・ヘフェリン
  • Mishaさんのカテゴリー化で思い出したので追記します。私自身は両親が日本人で国籍も日本の「純ジャパ」ですが、10代をヨーロッパとアメリカで過ごしたため、考え方も仕草も行動パターンも欧米的です。20代の人達からは「日本人らしくないね~」と言われるだけで済むようなことが、上の世代になってくると、口には出さないものの「何この女?ナニ人か分からない」「欧米かぶれ」「イケメンの外人と結婚したからって自慢しちゃって(旦那は商品か!?)」「ハーフの子供連れて自慢しちゃって(小さな子供を一人で買い物に行かせられないでしょ!)」と絶対に思われている可能性があります。実際のところは「10代の頃にアジア系が少ない田舎に住んで、人格形成時にアジア文化に触れる機会もほとんどなく、学びようがなかった」のです。
    さらに13-15歳まで留学していたイギリスでも「日本人女性は奥ゆかしくあるべき。もっと言うと、ベッドでは最高!そうじゃなければ美しくないし、我々のイメージと違いすぎるから嫌だ」みたいなメッセージは散々受け取ってきました。アジア系女性と言うと必ずセックスと結び付けられてしまい、それをセクハラだと認知されておらず、居心地の悪い思いをしました。今なら立派なセクハラですね!ひどい場合は「日本は中国の一部!」なんて断言する10代の子供もいましたから。当時でさえも着物を着て三つ指突いて、なんていう日本人女性はありえなかたのに、今はもっとありえないです。さすがに今はアニメで知名度が上がりつつありますが、当時の日本はよくも悪くもミステリアスな国だったのかも知れません。
    私の場合ですが、いくら周りから「いい人だよ~」といわれても、カテゴリーにはめたがる人とは例外なくお友達になれませんでした。理由は単純明快で、カテゴリーをどけて私自身を見てくれず、対等な関係を築けないから。一時は心の底から日本人になろうと頑張ったこともありますが、欧米の感覚が骨の髄まで染み付いてしまっているのか、なんだか「無理をして日本人になろうとしている人」にしか写らなかったみたいです。それから「日本人になる」ことはやめました。

    1:30 PM Jannat
    • Jannatさん、
       
      Jannatさんの書かれていること、実感として、とてもよくわかります。Jannatさんはご両親が日本人、でも十代の多感な時期にJannatさんご本人がヨーロッパに留学して、現地の白人の(アジア人に対する)冷酷な眼差しも体験してきて、そして「ご両親がヨーロッパに対して持つイメージ」 VS Jannatさんが「ヨーロッパ現地で体験したこと」の間にギャップができてしまった。さらには、大人になって、バングラデッシュ人と結婚したら、そこでも、その事に厳しい目を向けるご両親、そしてその他「色んな色眼鏡」と闘ってきたんですよね。過半数の人がしない体験をする事で苦労も多かった。そのおかげで視野が広まったのですから良しだとは思いますが(私が言うことじゃないかもしれないけれど^^;) 国際交流の楽しさと共に、「難しさ」の部分を誰よりも理解していると感じました。★サンドラ★

      4:38 PM サンドラ・ヘフェリン
  • > 私の場合ですが、いくら周りから「いい人だよ~」といわれても、カテゴリーにはめたがる人とは例外なくお友達になれませんでした。理由は単純明快で、カテゴリーをどけて私自身を見てくれず、対等な関係を築けないから。

    凄く納得いきました。なんとなく逆の立場だけど、自分も同じ結論に落ち着きました。結果、良い友だちはたくさんいるので、必死にカテゴリに入れたがる人は、親戚とか仕事で止むを得ず合わなければいけない場合以外は、完全無視です。

    3:22 PM simon
    • simonさん、
       
      >良い友だちはたくさんいるので、必死にカテゴリに入れたがる人は、親戚とか仕事で止むを得ず合わなければいけない場合以外は、完全無視です。
       
      ↑ハッキリ&スッキリで非常によろしいと思います(笑)★サンドラ★

      4:22 PM サンドラ・ヘフェリン
  • アーリア系と言われて嫌な顔をしたのは、ナチズムの歴史があるからではないでしょうか?

    4:08 PM Orion
    • Orionさん、
       
      それもあると思います。ただ、そのアフガニスタン人の主張する「アーリア系」がたとえ事実に基かないものだとしても、(ドイツ側の)もう少し違う対応の仕方があったのでは?なんて思います。★サンドラ★

      3:04 PM サンドラ・ヘフェリン
  • ドイツ人の反応は、「アフガニスタン人と一緒にされたくない」というよりは「アーリア系」という言葉によるものではないでしょうか?world war IIの歴史とかが(日本とは違って)国民の意識に刻み込まれていてそのためその類の話になると敏感に反応するのでは? でもそのことについてはサンドラさんの方がよくご存知かと。

    自分が思うにnation stateまたは人種でidentityを定義する考え方自体がちょっとよろしくないというか時代遅れではないでしょうか。自分の育った環境に価値観と生き方、おそらく性格も強く影響されているのを認識することは確かに有効ですが、だからといってその文化からなる価値観を肯定して同じ国/人種の人間と共同体意識をもつ必要はないですから。

    サンドラさんが前書いたようにサッカーのドイツ代表が勝っても自分とは関係ない、「ドイツ人」(定義はなんでしょう?パスポート?人種?)だからといって「ドイツ」という共同体に帰属意識はなくてもいい、更に言えばそのように考えてしまうことが非建設的(客観的な視点よりも感情に基づく価値観になるから)ということだと思います。帰属意識は自分と似たような価値観や行き方や理想をもった人間、または直接つながっているコミュニティーの方が建設的な議論ができるのではないかと思います。

    その考え方を貫くのであれば

    「日本語うまいですね」 というコメント(既に上記のように人種/国籍に基づいた帰属意識から成り立ったものですが)には

    「日本人です」 と返すよりは

    「日本で育ったから」 (人種、国籍関係ない説明)

    「沢山勉強したから」

    「小さい頃から話しています」

    または
    「ありがとうございます」(流す)

    「おばさんもうまいですね」(いやみ)

    などのほうが妥当かも。そうしないとそのコメントを発したおばちゃんと同じレベルで会話をしてるようになりかねないのではないでしょうか。

    長々とすみません。いつも楽しみながらブログを読ませていただいたいます!

    /ぴーた
    自分がcategorizeされたいグループ:urban liberal,プログレッシブ派w 合理性信奉者?
    人種(これ関係ないはずですけどw)でいえばスウェーデン人/日本人
    育った環境で言えば:主にStockholmの郊外

    自分を定義するのは難しいですね。カテゴリーなしでは情報量が多すぎて色々と面倒くさいですが、人種/国以外のカテゴリーを使うようにしたいと最近思っています。

    4:47 PM Peter
    • Peterさん、
       
      コメントありがとうございます!
       
      >自分が思うにnation stateまたは人種でidentityを定義する考え方自体がちょっとよろしくないというか時代遅れではないでしょうか。
       
      ↑その通りだと思います。そして、レジでの会話(?)に関しては、たしかにPeterさんが書かれていた切り替えしのほうがいいな、と思いました。ま、とっさに出たリアクション(?)だったので^^
       
      ところで、Peterさんが書かれていた「カテゴリーなしでは情報量が多すぎて色々と面倒くさいですが、人種/国以外のカテゴリーを使うようにしたいと最近思っています。」というの同感です!もう「同じ国だから」と、「ひとくくり」にできる時代ではないのかもしれません。★サンドラ★

      3:12 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 私もOrionさんと同じ意見。
    「ドイツ人とアフガニスタン人は実は同じアーリア系なんですよ」
    と言われたときに、ドイツ人ジャーナリストがどのように嫌な顔をしたのかがわからないのではっきりとは言えないけど、そもそもドイツ人は「アーリア系」という言葉に過剰反応するし、更に言えば人類学者でもない一般のドイツ人にとって「アーリア系」っていう言葉自体が人種差別用語のように感じられるんではないでしょうか?「インド・ゲルマン系」って言えば良いのだろうけど、アフガニスタン人からすると今度は自分たちがインド人といっしょくたにされているようで感じ悪いのでしょう。Arierという言葉は現代ドイツ語ではそういう特殊な背景をもってしか使われないようになっているし、もしかするとドイツ人ジャーナリストはアフガニスタン人がその場にいる日本人など「非アーリア人」を差別しているように感じたのかも知れません。その辺はその場に居合わせたのではないので実際どういう展開だったのかはっきりわかりませんが。

    5:04 PM Naoki Sugiyama
    • Naoki Sugiyamaさん、
       
      コメントありがとうございます!おっしゃる通り、色んな説が考えられますよね。
       
      ただ、「アーリア系」に関しては、アフガニスタン、そしてイランの多くの人々が学校で「イラン人はアーリア系。そしてドイツ人もアーリア系」と学んだそうなんです。私自身、過去に複数のイラン人からこの事を聞きました。そしてアフガニスタンにもFarsiを話すペルシア系(イラン系)の人はいますから、そういう「認識」(イラン人やアフガニスタン人はアーリア系だという認識)が現地では確かにあるみたいなんですよ。イランIranの国名は元々現地の言葉の”Aryānām Xšaθra” から来ていて「アーリア人の国」という意味です。ちなみにアフガニスタンの航空会社アリアナ航空(Ariana Afghan Airlines)の名前Arianaも由来はそこです。
       
      たしかに、ドイツにおいては「アーリア系」はヒットラーが良からぬ目的のために用いた言葉なので、多くのドイツ人は「アーリア系」と聞いただけで、「ナチスだ!」と嫌な感情を持ちます。でも、ここは冷静に考えなければいけないと思うのです。「ドイツ」においては、かつてヒットラー(ナチス)が自分勝手な目的のために「アーリア系」と連発して、ドイツ系は他の国の人より優秀だと主張した。よってドイツ人、またはドイツの歴史やドイツの事情に詳しい人は「アーリア系」という言葉を聞いただけで拒否反応を起こす。
       
      でも、イラン人やアフガニスタン人の一部は、そんなドイツの事情(ドイツの事情とは、ヒットラーが「アーリア系」を用いて、よってドイツ人は「アーリア系」と聞くとアレルギー反応を起こす事)は知らないんですね。そしてコラムに出てきたアフガニスタン人に関しては、「アフガニスタンにいるアフガニスタン人」ですので、そのアフガニスタン人は、自分の国で習った事をそのまま用いて、相手のドイツ人に「お近づきになりたい」と思ったわけです。
       
      ドイツにはドイツの事情があるけれど、イランの学校やアフガニスタンで、「イラン人はアーリア系、アフガニスタン人の一部もアーリア系。ドイツ人もアーリア系である。よって両民族は同じルーツを持つ」だと習ったのであれば、「その習ったこと」を現地の人達は(あたりまえですが)信じているわけで、そこを責めたてるのは、よろしくないかと。仲良くなってから、「実は、ドイツではですね、こうこうこういう過去があって、ドイツの学校ではこのように習っていて、よって『アーリア系』はドイツでは使わないんですよ」と説明すればいいだけの事です。そこを最初の段階で怒ってしまうから、世の中「生まれた誤解は中々解けない」部分も多いのだと思います。★サンドラ★

      3:23 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 「日本語お上手ですねー 」は私もあります!そういう時は、 はい、日本が長いので、 と答えています(笑)

    「日本語お上手ですねー」、ではなく、 二回目に会った人に、「 日本語更に上手になりましたね!」、 と言われたときは、流石に、「実は日本人です」、と答えましたが(笑) どうも、その方は私を完全な外国人と思っていたようです。。。

    まだまだ日本では、ハーフを含む外国人は日本語が上手である場合もある、というのに慣れていないのかもしれないですね。

    12:04 AM らふぃ
    • らふぃ、
       
      お久しぶり♪
       
      「日本が長いので」って答え方は、いいね!嘘でないし、でも核心(←ハーフであることなどの詳細)は話していないしで、いい感じで的を射た答えだと思います。日本でよく感じるのは「外国語が完璧な人は、日本語が完璧であるハズがない」という思い込みですねー。帰国子女もよく、それで苦労するみたいです。
       
      ・・・あ、ちょっとテーマからそれてしまいました。また気が向いたら、ホームページのぞいてみてね☆★サンドラ★

      3:30 PM サンドラ・ヘフェリン
  • 私もお二方の意見と同様に「アーリア」という言葉に条件反射したのだと思います。多くのドイツ人は「アーリア」をナチスの人種差別政策の類似語のように受け止めているので、そう言った意味で嫌な顔をしたんだと私は解釈しましたが。

    10:52 PM エンテ
    • エンテさん、

       
      おっしゃる通り「アーリア系」と言われた事に対して、それはナチスを連想させるものであるから、それで嫌な顔をした部分もあるのでしょうね。でも、「アーリア系」と聞いた時に、「ナチス」をすぐ思い出すのは「ドイツ人そしてドイツの歴史や事情に詳しい人」。しかし、世の中には、当たり前ですが、ドイツに行った事もなければ、ドイツの歴史を勉強した事のない人も大勢いるわけです。そして、上のほうのNaoki Sugiyamaさんへのレスにも書きましたが、イラン人の多くは学校で「イラン人はアーリア系。ドイツ人もそうである」と習っている事実があるわけです。(アフガニスタン人の一部もイラン人と同民族であり、この「アーリア系」の話はアフガニスタンでも認識として「ある」わけなのですね。)そう考えた時に、問題は、やはり「お互いが、異なる国で、異なる内容の事を習ってきた」事に誤解の理由があるわけで、そこをなんとか解いていかないと、一歩も前に進めないんじゃないかと思います。「アーリア系と言われた。ぎゃー!ナチスみたい。だいたいドイツ人がアーリア系だなんて間違ってる!」とやるのは簡単だけど、果たして、他の国の人と話している時にそれでいいのか???と思います。★サンドラ★

      3:40 PM サンドラ・ヘフェリン
  • ドイツ人は「アーリア人」ではありませんよ!ドイツは多民族国家なので、民族単位で定義付けるのは難しいと聞きましたが、あえて言うならば「ゲルマン人」だそうです。「ドイツ人=アーリア人説」はあくまでもナチスの空想です。イスラム諸国の人々を下に見るドイツ人はごまんといますが、例のドイツ人ジャーナリストの場合はただ単にナチス用語である「アーリア人」と言う言葉に強い反感を持っただけだと思います。私たちはその場に居合わせたわけではないので、例のドイツ人ジャーナリストの真意を代弁してはならないと思います。

    11:32 PM Gretchen
    • Gretchenさん、
       
      このコラム、私が言いたかった事は「アーリア系が云々」ではないのだけれど。コラムを通して私が訴えかけたかったのは、「近づいてきた人を遠ざけてしまう人間の冷酷さ」なのだけれど。
       
      なお、「アーリア系」に関しては、Gretchenさんが書く通りですが、他の国の人と交流をする中で、以下の問題があります。
       
      1)ドイツではヒットラー(ナチス)が「アーリア系」を用いて、人種差別的な政策に使ったため、ドイツ人の多くは「アーリア系」と聞くと、怒る。アレルギー反応を起こす。
       
      しかし
       
      2)世界にはドイツの歴史、ドイツの事情に詳しい人達ばかりではありません。そこを忘れていませんか?コラムに出てくるアフガニスタン人は「現地アフガニスタンにいるアフガニスタン人」です。上のNaoki Sugiyamaさんへの回答にも書かせていただきましたが、イラン人の多くは学校で「イラン人はアーリア系。ドイツ人もアーリア系。元をたどれば同じルーツ」と習っています。そしてアフガニスタン人の一部はイラン人と同じ民族でペルシア系(イラン系)でFarsiを話しますし、彼らの中には「イラン人、アフガニスタン人はアーリア系。ドイツ人もそうである」という「認識」が既に「ある」んですよ。ちなみに、上のNaoki Sugiyamaさんへのレスにも書きましたが、イランIranの国名は元々現地の言葉の”Aryānām Xšaθra” から来ていて「アーリア人の国」という意味です。アフガニスタンの航空会社アリアナ航空(Ariana Afghan Airlines)の名前Arianaも由来はそこです。
       
      イランやアフガニスタンで、「我々はアーリア系。元をたどればドイツ人と同じルーツ」と習ってきた人達は当然、そのことを信じている人が多いわけです。そして、その信じてきたものをベースに「ドイツ人にお近づきになりたい」と思っているんですよ。そこは、本人(アフガニスタン人)を責めるのは酷な気がするのですが・・・。

       
      世の中の多くの国際間のトラブルは、「自分が習ってきた事 VS 違う国の人が習ってきた事 の内容が全く違う」⇒よって「共通となる前提」が無いことが原因で起こります。なので、まずは、その事を意識して、「事実関係の説明(ドイツ人がアーリア系でないことの説明)」は「その後」だと思います。仲良くなってから、ゆっくりドイツではどういう事情があるのか、どういう事を自分は学校で習ったのかを説明すればいい。最初から「!!!!」となるのは、なんとも、もったいない気がします。★サンドラ★

      3:51 PM サンドラ・ヘフェリン
  • Political correctnessの観点から言えばサンドラさんの考え方が適切と思いますが、実際問題として、客観的に言ってアフガニスタンという国の文化的パワーが限定されている以上、殆どの人が例のドイツ人のような対応をするでしょう。自分がどうかと言われれば多分サンドラさんのように対応しようとすると思いますが、普通の人の対応なんてそんなもんでしょう。他方で、同じかどうかで親近感を持つアプローチは危険では。その考え方は、同じでない者を排除する可能性と含みます。私個人は、別に日本人というだけで親近感を持つ事はありません。むしろ、海外とかだと日本の感覚で言って無礼な日本人に会うこともあり、愉快でない経験をすることもあります。

    11:15 AM Masahiro Mogaki
  • しかし、思えばイランのように公用語がインド・ゲルマン系のペルシャ語で民族もアーリア系のペルシャ人が多数派の国と違って、アフガニスタンはアジア系のウズベク人やトルクメン人も多いはず。「アーリア人の国」というのは「日本は単一民族」みたいで、やはり正しくないですね。

    レジでの会話は「おばさんも日本語上手いですね!」がいい!

    4:40 PM Naoki Sugiyama
  • お返事ありがとうございます。

    >そして「ご両親がヨーロッパに対して持つイメージ」 VS Jannatさんが「ヨーロッパ現地で体験したこと」の間にギャップができてしまった。さらには、大人になって、バングラデッシュ人と結婚したら、そこでも、その事に厳しい目を向けるご両親、そしてその他「色んな色眼鏡」と闘ってきたんですよね。
    ↑代弁してくれてありがとうございます。私に取ったら実際に見たヨーロッパと今の旦那さんと結婚することは「変わっている」ことでも「人がしないこと、考えないことをやっている」わけでもないと思ってきたので、どうしてそこまで色眼鏡で見られるのか物凄く不思議でした。それくらい日本しか知らない、または海外に馴染むことができなかった日本人からすれば、私のような人は「別世界の人」なのでしょうが、私に取ったら「自分が抵抗がないことをしている」くらいにしか思っていないんです。
    私に取ったら難しいのは「国際交流」ではなく、「必要な時に色眼鏡でしか見ることができない人とどうやって付き合っていくか」です。私のような「戸籍だけ日本人」のような人は色眼鏡で全く見ない人のほうが少ないし、アジア系ということで性的な見方をされることは結構あります。なので日本人を相手にしているほうが大変だと感じる時も多いんです。

    3:47 PM Jannat
  • 遅ればせながらですがこのコラム大変興味深く拝見しました、私の事も少しお話させてください。
    私は日本とアジアの「混血」ですが普通にしていれば日本人とまったく同じです(いわゆるハーフ顔ではないという意味で)それでも私のバックグラウンドが知れると(特に隠しているわけではないのですが)私が「日本人」であることを否定しようとする輩がかなりいます。身振り、話し方、食べ方などを注意深く観察され「あら探し」が始まってしまいます(笑)しかもそれは傾向的に日本うまれ日本育ちの日本人よりも海外に長くいた日本人又は日本で長く生活している外国人により多く見受けられるようです。私は「血」という非科学的な概念が21世紀の世の中で未だ「信仰」されている現状になかば唖然としておりまして、親が何人であれ、日本籍なら日本人、アメリカ籍ならアメリカ人と国籍主体でものごとを見るようにしています。もちろん日本籍を持つ自分は両親の出身がどこであれれっきとした日本人と考えています。話はそれましたが、日本人の「排他感情」に驚かされます。日本に長く住んでいて「大和化」した外国人にも同じような拒絶反応があることが残念でなりません、イジメられっこがイジメっこになる構図でしょうか。

    5:44 PM
  • こんな興味深いブログ&ご記事が!初めて拝読しました。
    私は日本人で婚約者がアフガニスタン人(タジク/パシュトゥンのハーフ)です。「アーリア人」という語についてのドイツ人とアフガン人の感覚の違い、コメント欄のやりとりを興味深く拝読しました。「東洋人でも白人でも黒人でもなくさらにアラブ人でもない」ネパール以東イラン以西の人を顔立ちというか人種的に言うのって面倒ですよね。インド人パキスタン人やバングラデシュ人ならDeshiとか言えるけれどアフガン人じゃちょっと言えないし、でアーリア人と。
    「自分とは違うと思っていた人が自分と同じと知ったときの嫌悪感」をテーマにされていますが、同じ記事を読んで私が持った感想は「同じだと思っていた人が自分と違うと言われたショック」です。
    アフガニスタンと日本はほぼ同じ緯度にあり、冬炬燵に入り春は桜や杏の花が咲くなど共通点を探すと案外たくさん見つかります。
    私の婚約者はアーリア人顔ですが、ハザラ人やウズベク人含め日本人ソックリなアフガン人は多く、パキスタンとか行くと「アフガニスタン人か」と聞かれることを面白がる日本人は多くいます。
    そういうアフガニスタンの人に、目の前でドイツ人と「僕達同じアーリア人だね」と言ってるの見せられたら、日本人はショックだろうなぁ~と思いました。
    「同じ」と言われて嫌な顔したドイツ人の態度は感じわるいかもしれませんが、彼の意図人種差別的なものでなくナチズムへの嫌悪や日本人への配慮であったと願います。。
    「違うと思っていた人が同じであったことへの嫌悪」に対して「同じと思っていた人に違うと言われる悲しさ」といえば、店員さんの言動に対するサンドラヘフェリンさんがお持ちになった感情はこれに近いものじゃないかとお察しします。
    「いずれ生まれる私の子供もハーフだし同じようなもんでしょー」と思っていた友人が「ハーフ本人」と括られたときはフル日の私の方が疎外感を持ちますが(^^)

    11:35 AM まは

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