前編:復讐について

2012.3.1

今日は復讐について書こうと思います。

なんの復讐かって?

そう、もちろんイジメっ子に対する復讐です。

「イジメられた」という話になると、

「でも復讐はよくない」「自分が精神的にオトナになってイジメを忘れるしかない」

「イジメに負けないような精神力をつけるべきだ」「イジメは人を強くする。立ち直ればいいだけの話」

というアドバイスを耳にしますが、

では、

ターミネーター並みの精神力の持ち主(ターミネーター並みの精神力=小中9年間毎日バイキンと言われたけど、それらの蛮行の数々を卒業とともにパッと忘れ、前を見て歩き出す人)でない人、

ガンジーやマザー・テレサ(どんな事をされても人を許し、博愛精神を持ち、やられてもやり返さない)になりきれない人はどうすればいいのでしょうか。

・・・というよりも、

毎日外人菌などと呼ばれ小学校時代、中学校時代の計9年間を過ごさなければいけなかった、そのイジメっ子たちへの「怒り」はどう発散すればいいのでしょうか。

よくイジメっ子もストレスを感じている、などと耳にしますが、

「イジメられること」は物凄いストレスです。外人菌といじめられれば、悲しみのほかに物凄い怒りを感じます。

その怒りをイジメられっ子はどこにぶつければいいのでしょうか。

自費でボクシングジムに通いイジメっ子の顔を想像しながらパンチをする、

とか

自費でカウンセラーに通い、怒りの感情を聞いてもらうしかないのでしょうか。

もっと怖いのは

イジメられっ子が

何年か経って

「本当に私に対するイジメはたいしたことがなかった。こんなのは誰もが乗り越えられるもの。いじめられることも必要」

などと変な乗り越えの仕方をし

こんどは

自らが人をいじめ始めることです。

そして非難されると

「私もイジメで大きくなった。いじめはたいしたことない。いじめを乗り越える事も必要」

だとか理由をつけて、人をいじめ続けます。

体育会系の運動部にはこの手の人が多いと感じます。

ハーフにもいます。

自らが学校であんなにイジメに遭い、何年間も、あんなに辛い思いをしたはずなのに、

大人になってから、精神的に弱そうな人をいじめる人。

だから・・・・

イジメを「流れるもの」にしないことが大事だと思う。

された事を今度は他人にする、という循環をつくらないことが大事だと思う。

「私もいじめられたから、そして立ち直れたのだから、今度は他の人をいじめる。」

ではなく、

やっぱり自分の中にイジメっ子に対する怒りの気持ちが残っているのならば、

怒りは、その人、そうズバリ「イジメっ子」に向けなければいけないのです。

他の人にあたる(自分より弱い人など)のはお門違いというものです。

小学校中学校時代に毎日いじめられ、自分が20代や30になっても、

いじめられた人は怒りの感情をそのまま忘れていなかったりします。

時間が経っても、自分が大人になっても、復讐は可能です。

というよりも、

その時間が経ってからの復讐のほうが楽しいです。

じっくり考えてみなさんエレガントに復讐をしましょう。

では肝心の復讐方法ですが・・・

復讐イコール暴力や無言電話ではありません。

もっとエレガントに復讐しましょう。

ご紹介は、こちら をご覧ください。

(なんだか悪徳商法のアフィリエイトみたいですね^^)

                                                              サンドラ・ヘフェリン

コメント

  • 復讐…穏やかでないタイトルだと思ったけど、前向きな発案で良かった。

    エレガント!かわからないけど、www.kreuzungsstelle.com はひとつの反撃手段として続けてるかな?

    イジメを、直接的な暴力、体を傷つけたり、ヒドイ言葉で日々人を口撃するものと捉えたなら、俺は学校でイジメを受けなかった。

    しかし、時々発せられる無意識の排外主義、言葉に潜んでいる排外主義、「外人/ガイジン」に代表される考えから自由では無かった。それがウェブサイトを続けている原動力。

    Die Kreuzungsstelle は記録を残し、過去のことを現在と未来に語り継ぐことを目的にしてる。

    イジメがトラウマになった人に過去のことを語らせるのは酷だけど、少し自分を客観的に捉えられる人には、過去のことを書き残して欲しいかな、現在と未来を生きる子どもたちのために

    6:07 PM Okamura Hyoue

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