ハーフと愛国心Part2(日独ハーフの視点12)

2010.9.8

「オリンピックはドイツと日本、どっちを応援するの?」

日独ハーフはよくこの質問をされる。スポーツ音痴の私が一番困ってしまう質問だ。オリンピックの中でもフィギュアスケートは見るのが好きなんだけど、ドイツ人の選手を応援するとか、日本人の選手を応援する、というよりは自分が「素敵!」と思った選手を応援してしまうので、気がつくとキム・ヨナを応援していたりする。氷の上で優雅に滑る姿に「素敵!!」と見入ってしまった(でも真央ちゃんも好きです)。

ちなみに昔「素敵!」と思っていたフィギュアスケート選手はミッシェル・クワン。とても楽しそうに滑る方で見ていてとても楽しかった。うがった見方をすれば私には愛国心がないのかもしれませんが、意外とみんな「自分が素敵だと思う人」「自分が好きな人」を応援しているものなんじゃないかなあ。

サッカー・ワールドカップもちょっとだけ見ますが、自分がカッコイイと思う選手を応援していたりします。その選手がドイツ人ではないとか、日本人ではない、とか関係ないもんね。

私にはどうしても「愛国心があるからドイツ人選手を応援する」とか「愛国心があるから日本人選手を応援する」行為が、気に入った選手、素敵だと思う選手(たとえばキム・ヨナ選手)を応援する事よりも「高貴」だとは思えないのだ。

そんな感じなので、タクシーに乗って年配の運転手さんに「お客様はどちらの国の方?」と聞かれ、「ドイツと日本です」と答えた後に、「そうでしたか! 日独伊でしたが、次回はイタリア無しでやりましょう!」と言われても、愛想笑いするのが精一杯だったりする。日独で一緒にまた戦争? あり得ないから! もしも、ドイツと日本がまた一緒に戦争をしたら、私は真っ先に第三国へ逃げます。現実問題はさておき、気持ちとしてはそんなところでしょう。では、日本対ドイツで戦争をした場合は…? これも、第三国へ逃げます。

「愛国心」っていう言葉、私にはやっぱり決定的過ぎるみたいです。前回の連載に書いたような日本とドイツの両方の国の好きなモノや好きな事はたくさん浮かぶのだけれど、そして「好き」という気持ちもあるのだけれど、でも「あなたはドコソコの国の出身なんだから、ちゃんとその国を応援しなさい。愛しなさい」的な、何かを強制される気持ちにさせられるものにはどうもついていけないなあ。

私が考えていること。それは例えば愛国心の強い日本人、愛国心の強いウガンダ人、愛国心の強いドイツ人が対面したとして、それは上手くいけばお互いが「それぞれが自分の国の良いところをアピールする」という事につながるけれど、悪い方向へ行くと「ワタシの国のほうがアナタの国より優れている!」となってしまいやすく、そうなると愛国心は危険への第一歩なんじゃないかな。それよりも、自分の国のプラス面とマイナス面を認めて自分の中で消化してから、相手の国の事も偏見を持つこと無く見れたら、昔ながらの所謂「愛国心」こそ育たないけれど、地球が長い目で平和になるんじゃないかな、なんて思う。みんながみんな「ウチの国が一番!」と思っていると、お互い平行線をたどるしね。

だから個人的には日本の一部の小学校で実施している『子供に愛国心を持ってもらうための授業』というのには疑問を持っている。なんだか多くの事に配慮していないと感じるからだ。だって、例えばそのクラスに外国人の子供がいたら、「愛国心」をどう教えるの? そしてそのクラスにハーフの子供がいたら、「愛国心」をどう教えるの? 日本は外国より素晴らしいと教えるの? それとも、どこの国の愛国心も素晴らしいものだと教えるの?思うに「学校で子供たちに愛国心を教える」という考えが出てくる時点で「そのクラスには外国人がいない。ハーフもいない。クラスには『生粋日本人』しかいないはず」という考えが前提にある、というふうにしか私には思えないのだ。

「愛」という字が入る時点で「気持ち」が関係してくるけれど、気持ちは個人の自由だから授業で教えられるものでもないと思うのですね。

子供の時に色んな経験をして、大人になってから愛国心というテーマについて考える事は意義あることだと思うけれど、子供に学校の授業で教える必要があるのかな。

なんだか色々書いてしまったけれど、私はたぶん「自由」が一番好きなんだと思う。何を感じるか、どういう考え方をするか、ということにおいて自由な状態であること。選択の余地があること。そして愛国心に関しては欲張りであってもいいと思う。この国もあの国もあの国も好き。色んな国の名前がどんどん出てくることが私の理想の「愛国心」かな。そんなの愛国心ではない、国を一つに絞れ、とお叱りを受けそうですが(笑)。

でも色んな国が好きだということが21世紀には合っていると思うし、グローバル化していく今の時代にはふさわしい形なんじゃないかしら。

                                            サンドラ・ヘフェリン

コメント

  • 私には愛国心というものはないんだろうな~、といつも感じてしまいます。だって「日本が一番!」という気持ちは全くなくて、それぞれの国のいいところも悪いところもある、と思っちゃうから。
    「愛国心」って教えられるもの?それだと共産主義の国みたいになっちゃって怖いんだけど。
    オリンピックにしても「国を代表する」のはあくまでも選手だけだけど、選手たちでさえも本当に国を代表してる気持ちはあるのかは疑問。
    フィギュアスケートの川口悠子さんだって、ペアでオリンピックに出たい!という気持ちがあって、必然的にロシア国籍にした、という感じだと思います。ロシアはペア大国ですから。
    自分の夢のために国籍を変える。全然ありだと思います!だって川口さんの場合は日本が嫌いで日本国籍を手放したわけではないですから。

    1:26 PM Jannat
    • Jannatさん、たしかに旧共産圏では愛国心を強調していましたね。日常生活の不便さから目をそらさせるために国が国民に「愛国心愛国心」と強制していましたからね。そういう事を考えると「上から来る」愛国心に関する発言や指導などには、私はつい猜疑的になってしまいます。

      フィギュアスケートの川口悠子さんが選手としての夢を追うために日本国籍を捨てロシア国籍を取得した事に関しては思い切ったことをするな、と思いましたが、夢を追うために色んな努力をした結果なのだと思います。でも川口さんの場合は、日本側(マスコミ)もバッシングには走らず、むしろロシア国籍取得やこれからの活躍を応援していた印象を受けました。基本、こういう判断は当たり前だけど個人の自由なので、本人がやりたいようにするのが一番だと思います。むしろ誰かに遠慮して国籍を得たり捨てたりするのを諦める必要は全くないと個人的には思います。

      知人の中国人女性はこのあいだ日本国籍に帰化しましたが、「日本人」になってもとくに中国人から仲間外れにされたり嫌味を言われたりする事はなかったそうです。周りの中国人は彼女の事を「国籍は変わったけど、同じ華人」として今も仲間として認めてくれているそうですよ。この話を聞いた時、「愛国心」より大切なものがある、と教えられたような気がしました。愛国心より大切なこと。そう、それは人や、人の判断を「尊重」してあげること。感じ方は人によって違うのでしょうが、私は聞いていていい話だなー、と思いました★サンドラ★

      4:55 PM サンドラ・ヘフェリン
  • そうですよね~。その人や、その人の判断を尊重してあげることこそ、愛国心以上に大事なんですよね~。
    うちのパパの友達(バングラデシュ人)で、日本国籍を取得した人がいます。周りの友達も「日本に永住するつもりなら(永住権のままで外国人扱いされ続けるよりも)そうしたほうが絶対にいい!」という意見でした。国籍が変わっても「ムスリムであることには変わらないから」と、ものすごく寛大です。

    1:13 PM Jannat
  • オリンピックに出たいからという理由で国籍を代える馬鹿は両国民から軽蔑されるだろう
    また、帰化したほうがいろいろとトクだから帰化したクソ外人にも反吐がでる
    おまえらのような輩が生活保護などをむさぼって日本人が餓死するなど絶対許されることではない お前らが日本国籍をいいように利用するならいつか日本で外国人排斥運動がおきるだろう

    3:04 PM syuriken
    • syurikenさん
       
      汚い言葉遣いにびっくりいたしました。ご自身の投稿を読み返してみてください。非人道的なsyurikenさんの考え方を残念に思います。外国人または外国の血が入った人にも良い人はいっぱいいます。syurikenさんは、その残念な考え方、そして汚い言葉遣いのため、そういった人達と交流したりお友達になるチャンスを自ら逃していると思います。いま一度考え直してみたほうがよいのでは?と存じます。
       
      ※皆様へ。コメントを承認するか考えましたが、こういう考え方をする人もいる、という事実もやはりあるので、あえて承認しました。★サンドラ★

      3:07 PM サンドラ・ヘフェリン

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